佐賀市周辺・鳥栖エリアには嬉野温泉、天山、白山神社などの観光スポット、八朔、おくんち、佐賀城下ひなまつりなどの観光イベント、ブラックモンブラン、かまぼこ、シシリアンライスなどのご当地グルメがあります。
国の特別史跡にも指定されている吉野ケ里遺跡。約2000年前の弥生時代の日本最大規模の集落跡です。総面積117haという広大な敷地内には復元された竪穴式住居がならび、当時の暮らしぶりを想像させます。
体験プログラムも充実していて、勾玉づくり、土笛づくり、火おこしにチャレンジしたり、弥生人のメイクと衣装を施して祭りの舞に挑戦することもできます。ローラー滑り台やアスレチック遊具などもあるので、歴史を勉強した後は思い切り体を動かすのも良いでしょう。
古代のロマンを味わった後は、鍋島藩の城下町として栄えた佐賀エリアを観光するのもおすすめです。本丸御殿の一部を忠実に再現した佐賀城本丸歴史館には、約45mもの畳敷きの廊下や320畳の大広間があり、当時の武家社会の表舞台を体感することができます。
幕末から明治になると次々と洋館が建設されましたが、旧古賀銀行、旧牛島家をはじめとして当時のままの赤煉瓦の建築物がならぶ佐賀市歴史民族館ではレトロ気分を満喫できます。
市内には約700体の恵比須像があり日本一ともいわれていますが、さまざまな場所に隠れている恵比須様を探しながら街歩きをするのも楽しそうです。
また、広大な有明の干潟はムツゴロウなどのめずらしい生き物が多数生息していますが、ワラスボ、タイラギ、アゲマキなどの珍味の宝庫でもあります。姿形はユニークでも一度口にしてみるとやみつきになる人も続出。佐賀市の旅館、ホテル、飲食店などでオーダーできるので試してみてはいかがでしょうか。
そのほか、有明海の海の幸、佐賀鶏、佐賀牛など滋味あふれる新鮮素材を生かした郷土料理も人気です。
どのシーズンに訪れても魅力いっぱいの当地域ですが、11月上旬には世界的に有名な佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催されます。佐賀平野一帯に100機以上の色とりどりの気球が浮かぶさまはまるで夢のようです。夜間係留の気球がバーナーの炎に照らされて暗闇に浮かび上がる様子も幻想的です。
幕末から明治維新期にかけて、日本の近代化を牽引した佐賀藩の歴史を存分に楽しむことができます。 佐賀城本丸歴史館は、その時代を分かりやすく伝えるために設立された歴史博物館です。 本丸御殿の遺構を保護しながら、日本で初めて本丸御殿を復元したことで知られており、約2,500平方メートルの広さを誇っています。館内では、佐賀藩の科学技術や偉人たちなど、幕末から明治維新期にかけての佐賀の役割をわかりやすく紹介しています。 この館は木造復元建物としては全国最大級の規模を誇り、当時の雰囲気を存分に味わうことができる魅力的な空間です。また、常駐のボランティアガイドによる解説や週末に行われる演劇なども大変人...»
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵には、国の特別史跡「吉野ヶ里遺跡」があります。この遺跡は、弥生時代最大級の環濠集落で、2重の堀に囲まれ、2000基以上のかめ棺墓や楼観、高床式の倉などが発掘されています。 また、楼観や竪穴式住居、高床式倉庫などが復元され、発掘品の展示館もあります。 遺跡内では、弥生時代の大規模な環壕集落を約100棟の復元建物で再現しており、魏志倭人伝に伝えられる邪馬台国を思わせる風景が広がっています。まるで弥生時代にタイムトリップしたかのような感覚を味わえます。 建物の内部では当時の様子が再現され、弥生時代の衣装を着て回ることもできます。また、毎日「勾...»
明治時代の佐賀の実業家、伊丹弥太郎(イタミヤタロウ)の別邸と庭園は、「九年庵」として、平成7年(1995)、国の名勝に指定されました。98坪の別邸は、明治25年(1892)につくられ、庭園は、九州で茶室や築庭において並ぶものなしといわれた名人、久留米のほとり和尚に委託し、明治33年(1900年)から九年の歳月をかけて築いたものです。別邸は、入母屋葦葺き(イリオモヤヨシブキ)の屋根に杉皮の腰張り(スギカワノコシバリ)の土壁、竹格子の連小窓(レンコマド)や真竹を用いた濡縁など、材質、色感、意匠、構造などのすべてに、細心かつ充分な吟味が加え、茶室と書院の様式を折衷した近代和風の数寄屋建築です。庭園は...»
清水川の上流部に位置し、嘉瀬川に流入する祇園川の支流には、高さ75メートル、幅13メートルの美しい滝があります。この滝は別名「珠簾(たますだれ)の滝」とも呼ばれ、清流が豪快に落ちて垂直な崖を形成しています。 その迫力と同時に、美しさも感じられる場所です。滝のそばには碑があり、これは肥前国主6代鍋島宗教公が重病にかかった際、滝に打たれて凍死した藩士倉永清雄を讃えたものです。この碑は天明7年(1787年)に建立されました。当時からこの滝での身を清める儀式が行われるようになったと言われています。 古くから観世音菩薩信仰で有名なこの滝には、滝壺の入口に位置する清水観音宝寺院があり、滝の水を受ける儀...»
古湯温泉は、佐賀駅から北方に約20km、標高200mの山間に位置しています。昭和41年7月に厚生省から「古湯・熊の川温泉郷」として国民保養温泉地に指定されました。この温泉は歴史も古く、画家の青木繁やアララギ派の総帥として知られる歌人の齋藤茂吉など、日本歌壇の著名な先生方が訪れ、創作の地としても知られています。 また、熊の川温泉は、大同元年(806年)に僧侶の空海が唐から帰国し、全国を巡る旅の途中で弘仁12年(821年)にこの地を訪れた際、水鳥が温泉に浸かる姿を目撃し、温泉の存在を発見したと伝えられています。古湯温泉はこのような由緒ある温泉地として知られています。...»
南フランスの田舎町のような雰囲気を体験することができる、自然と動物に親しむことができるテーマパークです。 広大な敷地内には、ウマ、乳牛、鶏、ウサギなどが飼育されている牧場や広場、家畜小屋、ワイン展示館、パン工房、おみやげ屋、レストランなどがあり、自然に触れることもできます。 広大な牧草地ではのんびりと過ごすことができ、アスレチック、草スキー、ローラースケート、アーチェリー、乗馬、乳搾り、バター作りなど様々なレジャー体験ができます。 山の上にはヤギとふれあえる動物館があり、小動物館ではかわいいハムスターやモルモットと触れ合うことができます。また、ふれあい広場では、えさやりや乗馬体験ができ、...»
多久4代領主多久茂文が教育の振興と領民に「敬の心」を育むために建てた孔子廟で、国の重要文化財に指定されている。平成20年に創建300年を迎えた。聖廟創建以来毎年春と秋の年2回、孔子をまつる伝統行事「釈菜(せきさい)」が開催される。孔子は、菅原道真と同じく、学問の神様として崇められていました。その日は聖廟内が一般公開される。【創建年代】1708 孔子の里・多久聖廟の概要 孔子の里・多久聖廟は、佐賀県多久市に位置する、孔子を祀る重要な歴史的施設です。この聖廟は、孔子の教えを尊び、その功績を称えるために建立されました。孔子は中国の古代哲学者で、儒教の創始者として広く知られています。 歴史的背景...»
日本では、有明海と八代海の一部にしか棲んでいないと言われる水陸両生魚であるムツゴロウ。有明海の珍味の代表格でもあり、そのユニークな外見に反して味は絶品。旬は5月から9月にかけてで、一般的な食べ方は蒲焼である。生きたままのムツゴロウの口から串を差し込み、裏表ともに素焼きにしてから、ウナギの蒲焼き用のタレに浸しては何度も焼きをくり返す。真っ黒に焼き上がったムツゴロウは、身がほどよくしまっており、頭から尾まで丸かじり出来るところが醍醐味。ウナギよりも美味しいという観光客も多い。 佐賀県の有明海は、干潮時に干潟が広がることで知られています。その中で生息するムツゴロウは有明海と八代海の一部にしか見られ...»
シシリアンライスの発祥は、昭和50年ごろ、佐賀市中心の商店街の喫茶店で誕生したとされている。作り方はいたってシンプルで1枚のお皿に炊き立てごはん+炒めたお肉+サラダ+最後にマヨネーズが基本形である。シシリアンライスの由来は、諸説いろいろあるが、佐賀のお隣の長崎に「トルコライス」というメニューがあるが、実は「トルコ」という国のお隣に「シリア」という国があり、佐賀と長崎がお隣であることから、長崎トルコライスに対抗してシリアからシリア…シシリア…シシリアンライス…と変わって行き名づけられたのではないか?と多くの喫茶店のマスターは言う。...»
干満の差約6メートル。沖合6キロメートルにわたる広大な干潟が出現する有明海(ありあけかい)は、日本でも有数の珍味の宝庫。「ムツゴロウ」や「ワラスボ」、「クチゾコ」、「赤貝」などを個性的な姿、形ですが、これが食べてみるとクセになりそうな美味。その秘密は干満の差。潮の満ち引きによって、川の栄養分をたっぷり取りこんでいるからなのです。おかげで有明海底の豊かな土壌では、魚介類がよく育つというわけです。名物ムツゴロウはハゼ科の魚。かば焼や刺身がおすすめです。舌ビラメの一種であるクチゾコは煮付けやバター焼がオーソドックス。またグロテスクだが食べると美味いワラスボには、味噌汁があいます。また酢みそに最適なウ...»
有明海沿岸を中心に、日常食として食べられていた。粉茶を入れて炊き込む。米が泳ぐようなさらさらな粥で、藩政時代の米の節約法として生まれたとされる。 お茶でご飯を炊いたかゆ「お茶がい」「お茶がゆ」。幕末時代、財政難に悩んだ佐賀藩第十代藩主鍋島直正が、「御飯粒ひとつも無駄にしてはならない」と質素倹約令を通達し、米の節約術として生まれたと言われている。特に使用人と居住をともにしていた商家では、前夜の冷やご飯と出がらしのお茶、粉茶を使った茶がゆを朝食に出し、多数の使用人をまかなっていたという。その後、有明海沿岸地域を中心に食習慣として根付き、戦後間もなくまでは日常食として家庭でも食べられていた。しかし...»
1969年(昭和44年)に九州で発売され、現在まで50年以上ロングヒットを続けている、ザックザク食感のクランチとチョコに、サッパリとしたバニラアイスの組み合わせのアイスバー。商品名は、竹下製菓の当時社長だった故竹下小太郎がアルプス山脈の最高峰「モンブラン」を目の前にしたとき「このまっ白い氷の山にチョコレートをかけて食べたらさぞ美味しいだろう」との思いで名付けられた。商品は、バニラアイスをチョコレートで覆い、さらにその外側にクッキークランチをまぶしたアイスバーだ。カリッカリッとした食感が自慢のクランチとピーナッツで食べ応え十分で、“当り”がついているのも子供たちへ大人気の秘密のようだ。他にもモン...»
百年以上の歴史がある”小城(おぎ)羊羹”は、その昔、砂糖の運搬路であった長崎街道(シュガーロードとも呼ばれる)の通り道であった佐賀県でうまれた銘菓だ。浅めに練り上げた羊羹を箱で一昼夜寝かせて乾燥させることで、表面の砂糖が固まって羊羹ができあがる。その羊羹を包丁で1本1本切り分けていたことから”裁ち羊羹”とも呼ばれた。昔ながらの手作り羊羹は、シャリッとした歯触りが心地よく、素朴な甘さが懐かしい。現在でも、市内には20軒あまりの羊羹店があり、“日本一の羊羹の町”の暖簾を立派に守っている。 人口5万人ほどの小さな市である小城市は、二十軒以上もの羊羹屋がある珍しいまち。全国的にも羊羹の消費量が多い佐...»
佐賀県産の米100%を自家製粉して練り上げた生地に、北海道産の小豆で作った餡を包んで蒸し上げた佐賀市川上地区を代表する銘菓。今も代々受け継がれてきた昔ながらの製法を守りながら作り続けている。佐賀の良質な米だけで作るので、まるでもち米のようなモチモチとした食感。無添加・無着色で、賞味期限は当日のみ。白玉の名は、その昔、神功皇后の妹・与止日女(よどひめ)が肥前川上の地を通った際、このまんじゅうを食べ「かくの如く色あくまでも白く、きめ細やかにして玉の如き子供のほしまくも」と言ったことに由来するという。 1882年(明治15年)創業の「元祖 吉野屋」の白玉饅頭は、創業以来の伝統的な製法で作られ、添加...»
佐賀市を代表する銘菓の一つが「丸ぼうろ」。寛永16年(1639年)の創業以来、伝統菓子を作り続ける老舗「鶴屋」。そこの名物菓子が丸房露(まるぼうろ)だ。その歴史は古く、天和年間に鶴屋をきりもりしていた二代目の太兵衛が、長崎県の出島を訪れていたオランダ人から直伝されたものと伝えられており、製法を学んで佐賀へ戻り、鶴屋の丸房露として販売するやいなや、たちまち人気の菓子となったという。その味は、第8代・第17代の総理大臣を務めた大隈重信も大層気に入ったといわれ、各方面で高い評価を得た丸房露は佐賀銘菓として定着していったようだ。 丸ぼうろは、製法についてはポルトガルの郷土菓子である「カヴァカ・フィー...»
佐賀に昔から伝わるあめで、水あめを煮詰め、白くなるまで何度も引き伸ばして切り分けたもの。切り分ける形によって呼び名が変わり、長方形に薄く切ったものを「あめがた」、棒状のあめをノミで一口サイズに切り分けたものは「ノンキー」と呼ばれる。口の中に入れると広がる素朴な甘さは、どことなく懐かしい気持ちにさせ、現在でも多くのファンを持っている。近年では、味付けに工夫を凝らしている「あめ菓子」も多く、抹茶味やからいも味等も見かけられる。 創業1905年(明治38年)の老舗のあめ屋、北島製飴所「しょうが湯処 楠庵」の「しょうが飴玉」は、地元の佐賀県産「ショウガ」を使った無着色、無香料の飴玉です。通常の飴玉と...»
佐賀市の西に隣接する小城(おぎ)産の肉厚の白加賀種の青梅を一粒一粒、ていねいに種を取り除き、たっぷりのシソの葉と砂糖だけで漬け込んだ珍しい梅の砂糖漬け。見た目は梅干しのようだが、酸っぱくなく、爽やかな香り、口中に広がるまろやかな甘酸っぱさとカリカリとした歯応えが特徴。種なしなので食べやすく、お茶うけや子供のおやつに最適。細かく刻んでバラ寿司の隠し味としても利用でき、残ったシロップには梅のエキスがたっぷりで焼酎割りやソーダー割りでおいしく飲める。...»
むつごろうは、漢字で「鯥五郎」と書くハゼ科の硬骨魚。両眼が頭上に突出したユニークな顔が特徴だ。ぐるぐるとした目玉を動かし、胸ビレで干潟(ひがた)をヨテヨテと這う姿が愛くるしく、日本では有明海と八代海の一部だけにしか生息していない。肉は柔らかくて脂肪が多い。新鮮なうちに蒲焼にするのが一般的で、死ぬと味も落ちる。ムツゴロウの蒲焼は佐賀県の郷土料理の一つ。 有明海でとれた、むつごろうを蒲焼にし、じっくりと時間をかけて仕上げた甘露煮は、滋味豊かで、頭から尻尾までやわらかい。...»
有明海沿岸地方ではタウッチョガネ、ガネツケガニ、マガニなどとも呼ばれる甲羅(こうら)が3センチほどの小型の蟹、シオマネキ。有明海で手作業で捕ったシオマネキをまるごと砕き、唐辛子、しょうゆ、塩などと混ぜ合わせて熟成させた有明海沿岸地方に江戸時代から伝わる贅沢な珍味が蟹漬(がんづけ)。「がに漬け」や「がね漬け」とも呼ばれる。驚くほどの塩味と蟹の風味が口の中で広がる。細かくつぶした甲羅が口の中でガリガリするのが醍醐味。カルシウム、鉄、ヨード、キトサンなど栄養も豊富。酒の肴として、またあたたかいご飯にのせて食べたり、チャーハンや味噌汁、スパゲティなどの調味料としても利用できる。...»
日本屈指の海苔の町・佐賀。佐賀海苔の魅力は、口どけのいいやわらかさと芳醇な味わい。その秘密は、有明海の最大6メートルの干満差をいかした独特の養殖法にある。干潮時には海苔網に太陽の光がたっぷりと当たり、満潮時には海中で豊富な栄養分を吸収。この干出(かんしゅつ)が繰り返されることで、おいしい海苔が育まれるという。1971年に創業した佐賀海苔の専門店「三福海苔 のり道楽」の焼き海苔は、厳選した風味豊かな佐賀海苔を、遠赤外線で焼き上げる。ミネラルやビタミン、食物繊維が豊富な健康食品でもある。ゴマ油と塩で韓国風に味付けした「しおのり」、秘伝のタレを使用した「味付海苔」もある。...»
明治34年(1901年)創業の丸秀醤油は、創業当時から日本しょうゆの伝統的な製造法である天然醸造を守り続けている蔵元。原料の小麦は筑紫(ちくし)平野で育った佐賀県産のシロガネ、大豆は遺伝子組み換えをしていない丸大豆を使用。通常、醤油は3ヶ月ほどで作れるが、最初の工程の麹(こうじ)作りから十分に発酵・熟成させ食卓に届くまで約2年の歳月を要する。このゆったりとした時間の中から、調理素材の持ち味を引き出す300種類以上の香り成分や深い味わいが醸し出される。さらに、まろやかさとほのかな甘みを出すために、米から作った甘酒を加える独自の製法で、自然な甘みを実現した。”自然一醤油”は天然もろ味の中に息づく微...»
佐賀市は、佐賀県の中東部に位置する市であり、佐賀県の県庁所在地として経済や行政の中心地を担っています。県内で最も人口の多い都市であり、中枢中核都市に指定されています。さらに、施行時特例市としても認定されており、佐賀県の発展における重要な役割を果たしています。 市域は有明海から脊振山地に至る広大なエリアを縦断しており、佐賀平野の中心部に市街地が広がっています。このため、豊かな自然環境と市街地が共存し、都市と自然が調和した美しい景観が広がっています。また、秋には嘉瀬川河川敷を中心に「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が開催され、熱気球が空を彩り、国内外から多くの観光客が訪れます。 文化・...»
佐賀城は、佐賀県佐賀市城内に位置する日本の城で、古名は佐嘉城とも呼ばれています。江戸時代初期に完成し、外様大名であった佐賀藩鍋島氏の居城として知られています。また、城は「沈み城」や「亀甲城」といった別名でも親しまれており、平城の形式を持つ複合式の城郭を特徴としています。現在、佐賀城は佐賀城公園として整備されており、歴史的な遺構が残されているだけでなく、観光名所としても人気を博しています。 佐賀城の歴史的背景 鎌倉時代から戦国時代の始まり 佐賀城の前身となる村中城は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、肥前の戦国大名龍造寺氏によって築かれました。この城は、戦国時代の激しい戦闘を経て、鍋島氏によっ...»
西渓公園は、佐賀県多久市多久町に位置する都市公園(近隣公園)です。明治時代の炭鉱開発を手掛けた実業家、高取伊好によって寄贈されました。この公園には、山水庭園、高取の立像、3つの市立資料館などがあり、和風公会堂である「寒鶯亭」は国の登録有形文化財として認定されています。 公園の概要 西渓公園は、その名が示すように、高取伊好の号「西渓」から名づけられました。彼は青年時代に多久領の邑校「東原庠舎」で学んだことから、多久市との縁を深め、その後、自身の財を投じて公園や図書館、公会堂を建設し、それらを多久市に寄贈しました。公園は、四季折々の自然美を楽しめる山水庭園を特徴としており、春には約400本の桜...»
古湯温泉は、佐賀県佐賀市富士町に位置する歴史ある温泉地で、旧国肥前国に属しています。標高200メートルの山間に位置し、静かな自然環境の中で温泉を楽しむことができる場所です。昭和41年(1966年)には、厚生省から「国民保養温泉地」としての指定を受け、全国的にも認知されています。 泉質と特徴 古湯温泉の泉質は「アルカリ性単純温泉」で、肌にやさしい特性を持っています。この温泉は、特に「美人の湯」としても知られており、泉温は約43℃と心地よい温かさです。また、温泉街にはぬるめのお湯を楽しむことができる場所もあり、38~40℃の温度が母胎の羊水に近いとされ、リラックス効果が高いとされています。 ...»
熊の川温泉は、佐賀県佐賀市富士町に位置する歴史ある温泉地です。この温泉は、自然豊かな嘉瀬川沿いに広がる温泉街として知られ、古くから湯治場として多くの人々に親しまれてきました。 温泉の概要 熊の川温泉は、泉質や効果効能の高さで広く知られています。泉質は放射能泉で、九州地方ではラドン(ラジウム)含有量が最も多い温泉の一つです。そのため、入浴すると肌がつるつるになる効果があり、様々な疾患にも良いとされています。 泉質と源泉 熊の川温泉には、32.9℃と38.7℃の2本の源泉が存在し、それぞれ毎分60リットルと183リットルの湧出量を誇ります。これにより、温泉街に点在する旅館や公共浴場に豊富な...»
鳥栖市は、佐賀県の最東端に位置する市であり、九州の交通の要衝として知られています。人口は佐賀市、唐津市に次いで佐賀県内第3位の規模を持ち、都市圏の中心地としても発展しています。鳥栖市は1954年(昭和29年)に市制を施行し、交通網の整備や企業の進出によって、着実に成長を続けてきました。長い歴史の中で多くの観光名所や行事が根付いています。 名所・旧跡 朝日山城址 朝日山城は、鳥栖市にある歴史的な城跡で、かつてこの地域を治めた武士たちの拠点でした。現在では、その跡地は公園として整備され、訪れる人々が過去の歴史を感じながら散策を楽しむことができます。特に、春の桜の季節には多くの観光客が訪れ、花...»
佐賀バルーンミュージアムは、佐賀県佐賀市に位置する日本初の熱気球をテーマとした常設博物館です。2016年10月1日に開館し、天候に関係なく、いつでも熱気球の魅力を感じられる施設として注目されています。佐賀市の観光促進や中心市街地の活性化を目的として設立され、地元の歴史的な土地である弘道館跡地に建てられました。 設立の経緯 この博物館は、かつてスーパーマーケット「マルキョウ佐賀店」があった場所に設立され、佐賀市が用地を購入し、建物は無償で譲り受け整備しました。また、隣接していた旧嬉野家の武家屋敷の門は1890万円の費用をかけて保存修理され、東側に移されました。博物館の総事業費は約18億円にの...»
佐嘉神社は、佐賀県佐賀市に位置する由緒ある神社です。旧社格は別格官幣社であり、藩祖を祀る神社として、江戸時代後期から明治時代初期にかけて広がった流れの一つです。この神社は、佐賀藩の重要な歴史と深く関わっており、鍋島家の歴代藩主が祀られています。 概要 佐嘉神社は、佐賀市にある神社で、鍋島直正(10代佐賀藩主)と鍋島直大(11代佐賀藩主)の両名を祀っています。直正は藩政改革を推進し、後に日本の政治舞台で重要な役割を果たす大隈重信や江藤新平といった人材を育成しました。また、直大は戊辰戦争で官軍の一員として戦い、明治2年には版籍奉還を申し出るなど、時代の変化に対応した功績があります。 祭神につ...»
佐賀県立博物館は、佐賀県佐賀市城内にある県立の総合博物館です。佐賀県立美術館と通路で接続しており、展示や運営が連携されています。この博物館は佐賀県の歴史や文化に関する多岐にわたる収蔵品を展示しており、訪れる人々に佐賀の豊かな文化遺産を紹介しています。 設立の経緯と運営 佐賀県立博物館の設立は1951年にさかのぼります。当時の「佐賀県文化館」(現在の徴古館・佐賀市松原)が実質的な前身であり、1960年に正式に博物館法上の博物館として登録されました。その後、明治百年記念事業として佐賀県が新たな計画を立て、1970年10月14日に現在の佐賀県立博物館が開館しました。博物館の建設地はかつて佐賀城の...»
佐賀県立森林公園は、佐賀県佐賀市久保田町に位置し、広域的なスポーツレクリエーション活動の拠点として整備された県立の都市公園です。面積約52.4ヘクタールの広大な敷地には、様々な施設や遊具が整備され、訪れる人々に豊かな自然とスポーツを楽しむ場を提供しています。本公園は、県民が自然と触れ合いながらリフレッシュできる場所であり、老若男女問わず多くの人々に愛されています。 公園の概要 佐賀県立森林公園は、1968年(昭和43年)に着工し、1979年度(昭和54年度)までに広場やテニスコートの部分が開園しました。その後も徐々に整備が進み、1999年には「みどりの森県営球場」がオープンするなど、佐賀県...»
佐賀県佐賀市に位置する與止日女神社(与止日女神社)は、肥前国一宮として古くから崇拝されてきた神社です。その格式は旧社格で県社に列し、式内社としても名を連ねています。また、この神社は「淀姫神社」とも表記され、通称「淀姫さん」としても広く知られています。 境内と嘉瀬川 與止日女神社は、三の鳥居や嘉瀬川に沿って美しい自然に囲まれた境内を持ち、市指定文化財の「肥前鳥居」も見どころのひとつです。特に三の鳥居は、歴史的な価値を持つ肥前鳥居で、神社の重要な文化財として保存されています。 創建と歴史 神話に基づく創建 與止日女神社の創建は、『肥前国風土記』逸文に記録されています。欽明天皇25年(56...»
東よか干潟は、佐賀県佐賀市東与賀町大授搦(だいじゅがらみ)の地先に位置する干潟で、鳥獣保護区として指定されています。この干潟は、有明海の奥部にあり、日本国内で最も多くのシギ・チドリ類が渡来する場所として知られており、環境省の調査でもその数が最大とされています。また、ラムサール条約に登録された湿地でもあり、自然の豊かさが評価されています。さらに、ここには紅葉する塩生植物「シチメンソウ」が自生しており、秋には美しい紅色に染まる景観が広がります。 東よか干潟の概要 東よか干潟は、干潮時には広大な干潟が姿を現し、満潮時には多くの水鳥が集まります。この地域には、シギやチドリをはじめとする多くの水鳥が...»
神野公園は、佐賀県佐賀市神園4丁目1番3号に位置する都市公園(地区公園)です。佐賀市の歴史と自然を楽しむことができる場所として、地元住民や観光客に愛されています。特に春には桜が咲き誇り、花見の名所として多くの人々が訪れます。1846年に佐賀藩主の別邸として造られた歴史的背景もあり、園内には様々な見どころが点在しています。 公園の概要 神野公園は、1846年(弘化3年)に第10代佐賀藩主鍋島直正の別邸跡地に設けられた公園です。園内には、大池を中心に美しい景色が広がり、池泉回遊式の庭園である「神野のお茶屋」や、復元された茶室「隔林亭」などが点在しています。公園は、1923年(大正12年)に佐賀...»
佐賀市歴史民俗館は、佐賀県佐賀市柳町にある歴史的建物群を指す総称です。この歴史民俗館は、旧長崎街道沿いに残る貴重な歴史的価値を持つ建物を保護し、観光資源として活用することを目的として整備され、公開されています。1997年に最初に公開されたのは、旧古賀銀行、旧古賀家、旧牛島家の3館で、その後2000年に旧三省銀行と旧福田家が追加され、さらに2016年には旧森永家と旧久富家が公開されました。現在、合計7館が公開され、佐賀市の歴史や文化を伝える重要な施設となっています。 施設概要 旧古賀銀行 旧古賀銀行は、1906年(明治39年)に建築され、古賀銀行自体は1885年(明治18年)に設立されまし...»
川上峡は、佐賀県佐賀市大和町に位置する渓谷で、その美しい景観から「九州の嵐山」とも称されています。両側の山々に囲まれ、その間を嘉瀬川が穏やかに流れる姿は、京都の嵐山を彷彿とさせ、多くの観光客に愛されています。川上峡は、奇岩や瀑布といった派手な景観はないものの、その静けさと自然美が訪れる人々を魅了します。また、一帯は川上金立県立自然公園に指定されており、四季折々の自然を楽しむことができます。 官人橋と鯉のぼり 川上峡の象徴ともいえるのが、嘉瀬川に架かる官人橋(かんじんばし)です。この橋は、1953年(昭和28年)に元の橋から約80メートル上流に架設されたもので、全長66メートル・高さ11メー...»
築地反射炉は、幕末期に佐賀藩が設置した反射炉で、現在の佐賀県佐賀市長瀬町に位置していました。この反射炉は、日本における初の実用反射炉として1850年に完成し、翌年には日本で初めて鉄製大砲の鋳造が成功しました。築地反射炉は、当時の海防強化を目指し、洋式の鉄製大砲を鋳造するために設立されました。 背景と必要性 19世紀半ば、佐賀藩の第10代藩主であった鍋島直正は、藩政改革と西洋技術の導入に積極的でした。特に、1840年代に発生したアヘン戦争で清がイギリスに敗北したことや、1808年のフェートン号事件といった外的要因により、日本でも海防の強化が急務となっていました。直正は海防の必要性を幕府に訴え...»
佐賀インターナショナルバルーンフェスタは、日本の佐賀県佐賀市の嘉瀬川河川敷を主な会場として毎年秋に開催される熱気球競技大会およびイベントです。この大会は、日本国内だけでなく、アジアでも最大級の熱気球イベントであり、国内外から多くの観光客が訪れます。 概要 佐賀インターナショナルバルーンフェスタは、熱気球競技大会として毎年、十数か国から70〜80機の熱気球が参加します。そのうち約50機が日本国内からの参加であり、イベント全体では110機前後の規模となります。過去には1989年、1997年、2016年の3度にわたって熱気球世界選手権も開催されました。 大会は通常、10月下旬から11月上旬にか...»
與賀神社(与賀神社)は、佐賀県佐賀市に位置する由緒ある神社で、旧社格は県社です。この神社は、佐賀の歴史や文化に深く根付いており、地元の人々にとって重要な信仰の場となっています。官公庁では「与賀神社」と表記されることが多いですが、「與賀神社」とも書かれます。 祭神 主祭神 與賀神社の主祭神は与止日女神(よどひめのかみ)であり、豊玉姫命(とよたまひめ)とも同一視されています。彼女は海神の娘であり、竜宮城の姫で、神武天皇の祖母としても知られています。 配祀神 與賀神社では、以下の神々も共に祀られています: 八幡神(彦火々出見命) 住吉神(綿津見命) 乙宮神(宗像三女神) 印鑰神...»
四阿屋神社は、佐賀県鳥栖市牛原町に位置する歴史ある神社で、養父郡の総社として知られています。古くは「四阿屋宮(あずまやぐう)」と呼ばれ、神社の旧社格は郷社に指定されていました。四阿屋神社はその古い歴史と美しい自然環境から、多くの参拝者に親しまれており、地域の信仰の中心としても重要な役割を果たしてきました。 四阿屋神社の概要 四阿屋神社は、古くから地域に根付いた信仰の場であり、神社の歴史的な背景や自然環境が調和した神聖な場所です。佐賀県鳥栖市に位置し、参道や社殿は自然に囲まれており、訪れる人々に静かな癒しを提供しています。古代から続くこの神社は、長い歴史の中で多くの伝説や出来事を経験し、今で...»
高伝寺は、佐賀県佐賀市に位置する曹洞宗の仏教寺院です。その山号は「恵日山(えにちさん)」と称され、梅の名所としても広く知られています。この寺院は、長い歴史と豊かな文化財を持つだけでなく、鍋島家や龍造寺家の歴代藩主の菩提寺としても重要な役割を果たしてきました。 高伝寺の歴史 高伝寺は、1552年(天文21年)に鍋島清房によって創建されました。当時、清房は龍造寺氏の家臣であり、彼の手により現在の曹洞宗の禅宗寺院として整備されました。その後、清房の孫である鍋島勝茂が初代藩主となり、佐賀藩鍋島家の菩提寺として定着しました。 1871年(明治4年)、最後の佐賀藩主鍋島直大が、散在していた鍋島家と龍...»
北山ダムは、佐賀県佐賀市に位置し、一級河川である嘉瀬川の最上流部に建設された重力式コンクリートダムです。このダムは、農林水産省の管理の下、主に佐賀平野のかんがい用水供給と水力発電を目的としています。もともと、佐賀平野への水の供給を目的に建設され、かつては佐賀県最大規模のダムでした。現在でも北山湖(きたやまこ)として親しまれ、多くの観光客や地域住民にとって重要なレジャー・保養地となっています。 ダムの概要 北山ダムは農林水産省九州農政局が建設したダムで、佐賀県内初のコンクリートダムです。高さ59.3メートルの重力式ダムで、農業用水の供給を主要な目的としており、洪水調節の機能は持っていません。...»
蓮池町は、佐賀県佐賀市の中心部から東へ約6キロメートルの場所に位置する、歴史的な地名です。この町は、室町時代に築かれた蓮池城を中心に発展した城下町であり、江戸時代には佐賀藩の支藩である蓮池藩が置かれました。廃藩置県の後、蓮池県として一時的に存在しましたが、後に佐賀県の一部となりました。神社や寺院など、蓮池町ならではの風情あるスポットが多く、観光客や地元の方々に親しまれています。 名所旧跡 神社 鎮西出雲大社 鎮西出雲大社は、蓮池町の小松地区、蒲田津に位置する神社です。社格は旧村社にあたります。文永10年(1273年)に出雲国造の弟である北島康孝によって創建されたと伝えられています。広大...»
佐賀城公園は、佐賀県佐賀市城内に位置し、佐賀城の跡地を中心に広がる都市公園です。この公園は、佐賀市の行政の中心部近くに位置し、三方を堀で囲まれた美しい風景が広がっています。市民にとっては憩いの場として親しまれ、特に春には桜の名所として多くの観光客や地元の方々で賑わいます。1989年には「日本の都市公園100選」、2007年には「日本の歴史公園100選」に選定され、歴史と自然の調和が評価されています。 公園の概要と魅力 広大な敷地と濠の景観 佐賀城公園の敷地面積は約31.8ヘクタールに及び、その広大な敷地内には、佐賀城本丸歴史館や鯱の門、県立博物館・美術館、県立図書館などの文化施設が点在し...»
小城市は、佐賀県の中央部に位置する市で、豊かな自然と歴史的な名所が点在する魅力的な地域です。市は、天山をはじめとする山々に囲まれ、また有明海にも面しており、変化に富んだ地形と気候が特徴です。小城市は、観光スポットや文化施設が豊富で、特に「肥前の小京都」として全国に知られており、伝統文化や美しい自然景観を楽しむことができます。 名所・旧跡 小城市には、歴史的な建造物や自然の美しさを感じられるスポットが数多く存在します。特に旧小城町域は「小京都」と呼ばれ、古都の趣を今に伝えています。 城郭 小城市には、歴史的な城郭が点在しており、当時の面影を残しています。これらの城郭は、訪れる人々にその歴...»
天山は、佐賀県のほぼ中央に位置し、標高1,046.2メートルを誇る山です。天山は、佐賀県唐津市、小城市、佐賀市、多久市にまたがり、筑紫山地に属しています。この山は、自然豊かな環境と歴史的背景を持ち、多くの登山客や自然愛好者を魅了しています。 地形と地質 天山の西側には雨山(標高996m)というピークがあり、中央のピークが天山山頂です。脊振山地の南西端に位置し、雨山や東側の彦岳を含めて天山山地とも呼ばれることがあります。 天山の山体は、基部が花崗岩質で構成され、山頂部は蛇紋岩を含む岩石で覆われています。山頂部は比較的なだらかですが、南側の斜面は急勾配の開析地形を形成し、佐賀平野とを直線的に...»
清水の滝は、佐賀県小城市小城町清水に位置する美しい滝で、別名「珠簾の滝」とも呼ばれています。この滝は、名水百選に選定された清水川と合流し、嘉瀬川水系の祇園川へと注いでいます。特にその美しい水の流れや周辺の自然環境から、佐賀県を代表する観光名所の一つとして知られています。 概要 清水の滝は、天山県立自然公園内に位置しており、落差75メートルの高さを誇ります。滝つぼの前には、清水観音宝地院が建立され、滝行の霊場として広く知られています。この場所には深い歴史があり、佐賀藩鍋島家の藩士が滝行を行った際、忠義を尽くし凍死したことが伝えられています。その遺徳を称えて1787年(天明7年)に藩士の碑が建...»
須賀神社は、佐賀県小城市小城町松尾に位置する神社です。この神社は、旧社格が県社であり、古くから地域の信仰を集めてきました。周辺の歴史や自然と深く関わっており、地元住民や観光客にとっても重要な場所です。 神社の概要 所在地と参道 須賀神社は祇園川の北側にある小高い丘、かつて千葉氏の山城であった千葉城(別名:祇園城・牛頭城・牛頸城)があった場所に鎮座しています。神社の入り口には一の鳥居と神門があり、そこを潜ると、急峻な山肌を一直線に登る153段の石段が続きます。この石段は本殿へと続く参道となっており、その途中には肥前鳥居の二の鳥居も見られます。 石段を登りきると、拝殿があり、その天井には美...»
村岡総本舗は、佐賀県小城市に本店を構える羊羹や和菓子の製造・販売を行う老舗企業です。1899年(明治32年)に創業し、江戸時代から受け継がれた煉り羊羹の製法を用いた「小城羊羹・特製切り羊羹」で広く知られています。 村岡総本舗の概要 1899年(明治32年)、創業者である村岡家が長崎から羊羹製造の道具を譲り受けたことから始まりました。二代目社長であった村岡安吉が「小城羊羹」という名称を初めて使用し、その後、小城の羊羹は各地で有名になりました。現在、「小城羊羹」の商標は小城羊羹協同組合が管理しており、組合加盟業者のみが使用しています。 小城羊羹の歴史と商標 村岡総本舗が位置する小城町は、昔...»
小城公園は、佐賀県小城市小城町にある都市公園(総合公園)です。その歴史は長く、地元の人々に愛される桜の名所としても知られています。かつては「桜岡公園」とも呼ばれ、現在も日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選に選定されています。園内には、豊かな自然と歴史的建造物が点在し、訪れる人々を魅了します。 公園の概要 小城公園は約3,000本の桜が咲き誇ることで知られ、春には多くの観光客や地元の住民が花見に訪れます。桜だけでなく、園内にはツツジやフジなど季節の花々が美しく彩り、初夏にはホタルも観賞できるなど、四季折々の自然が楽しめます。 また、公園内には「自楽園」という庭園や、2つの神社(岡...»
多久市は、佐賀県の中央部に位置する市です。佐賀市から約25km西側にあり、豊かな自然環境に囲まれた地域です。歴史的建造物や自然景観が豊富で、観光や教育の拠点としても知られています。多くの名所旧跡や観光スポットが点在しており、四季折々の美しい風景や伝統的な祭事が訪れる人々を魅了します。 名所・旧跡・観光スポット 多久市には、歴史的価値の高い建物や美しい自然が楽しめる場所が数多くあります。それぞれのスポットは、多久市の豊かな文化と自然を感じることができる場所です。 多久聖廟 多久聖廟(たくせいびょう)は、多久町東ノ原にある孔子を祀った廟で、国の重要文化財に指定されています。孔子の教えを学び...»
多久聖廟は、佐賀県多久市に位置する孔子を祀った廟であり、1708年(宝永5年)に建立されました。多久聖廟は、多久市の歴史的・文化的象徴として知られ、国の重要文化財にも指定されている名高い場所です。この聖廟は、肥前多久邑主であった多久茂文が教育の振興を目的として建立したもので、以来、学問と文化の象徴として大切にされています。 多久聖廟の歴史 建立の背景 多久聖廟の建設は、1699年(元禄12年)、多久茂文が学問を奨励するために学問所を建立したことに始まります。この学問所は、後に「東原庠舎」として知られるようになり、その講堂には孔子像が安置されました。その後、1708年(宝永5年)には椎原山...»
九千部山は、福岡県と佐賀県にまたがる脊振山系の一部に位置する山で、標高は847.5メートルです。山頂は佐賀県鳥栖市側に位置し、北は博多湾、南は筑紫平野と有明海を一望することができます。九千部山は、自然の美しさと歴史的な背景を持つ観光スポットとして、多くの人々に親しまれています。 概要 九千部山の山頂には、弁財天を祀った石の祠が鎮座しています。この祠は、訪れる登山者や観光客に信仰の場を提供し、山の守護神としての役割を果たしています。福岡県側は脊振雷山県立自然公園、佐賀県側は脊振・北山県立自然公園に指定されており、豊かな自然環境が保護されています。 また、九千部山は、古くからの歴史や伝説が息...»
中冨記念くすり博物館は、佐賀県鳥栖市に位置し、公益財団法人中冨記念財団が運営する歴史民俗博物館です。この博物館は、地域の製薬業である「田代売薬」の歴史と文化を後世に伝えるために設立され、薬に関する貴重な資料や展示を行っています。 設立の経緯 中冨記念くすり博物館は、1995年(平成7年)に久光製薬の創業145周年を記念して設立されました。田代売薬の歴史的価値を保存し、伝承することを目的としており、2010年(平成22年)には公益財団法人としての活動を開始しました。さらに、2016年(平成28年)には田代売薬に関連する製薬や行商の道具が「佐賀県重要有形民俗文化財」に指定され、その重要性が高く...»
基山町は、佐賀県東部の三養基郡に位置する町で、鳥栖都市圏の一部を形成しています。九州の交通の要衝であるため、物流や産業の発展が進んでおり、福岡市への通勤・通学を行う住民も多いベッドタウンとして機能しています。この町の魅力は、美しい自然や歴史的な背景、さらに交通の利便性にあります。特に、福岡都市圏に隣接することで、住民にとっても快適な生活環境が整っています。この町は、歴史的な名所や自然の美しさが魅力であり、四季折々の祭事や催事も豊富です。特産品も多彩で、訪れる人々に地元ならではの味覚や体験を提供します。 名所・旧跡 基山町には、古代から続く歴史的な名所が数多く残されています。その中でも特に注...»
基肄城(きいじょう / きいのき、椽城)は、福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる基山(きざん)に築かれた、日本の古代山城です。この城跡は、1954年(昭和29年)3月20日に国の特別史跡「基肄(椽)城跡」に指定されました。基肄城の起源は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、日本の防衛を目的として築かれた城です。 城の構造と立地 基肄城は、大和朝廷が防衛強化のために建設した山城で、665年(天智天皇4年)に築かれたと『日本書紀』に記されています。城の建設は、軍事技術に精通していた亡命百済人、憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくぶ)が担当しました。基肄城は、大宰府から...»
荒穂神社は、佐賀県三養基郡基山町に鎮座する歴史ある神社です。基山の南麓に位置し、宮浦字宮脇に構えられています。社格は式内小社、県社に列せられており、地域の信仰を深く根付かせている神社の一つです。 荒穂神社の歴史 荒穂神社の創建は、孝徳天皇の時代(7世紀中頃)にまで遡ると伝えられています。「荒穂神社縁起」によれば、松津(基肄)国造の末裔である物部金連の子孫、金村臣によって創祀されたとされています。これにより、荒穂神社は長い歴史を持つ古社として知られています。 また、『日本三代実録』には、貞観2年(860年)に従五位上から正五位下に陞叙された記録が残されており、国家の重要な神社としての役割が...»
大興善寺は、佐賀県三養基郡基山町大字園部に位置する、天台宗の寺院です。この寺院は、天台宗の別格本山にあたる格式の高い寺院であり、山号は「小松山」とされています。春にはつつじの美しさで知られ、訪れる観光客に自然の美と歴史的な趣を提供するスポットとして有名です。 歴史 大興善寺の歴史は、8世紀にさかのぼります。寺伝によると、この寺院は奈良時代、聖武天皇の勅願により行基によって創建されました。その後、平安時代には、天台宗の高僧である円仁(慈覚大師)によって中興されたと伝えられています。 しかし、戦国時代の享禄年間(1530年頃)の兵火により、寺院の堂塔は焼失してしまいます。その後、天文11年(...»
みやき町は、佐賀県東部に位置する三養基郡の町です。この町は、豊かな自然と歴史的な遺産を誇り、地元の風物や名所・史跡が数多く存在します。また、四季折々の祭事や特産品も魅力的で、多くの観光客が訪れる地域となっています。 名所・史跡・観光スポット 鷹取山 鷹取山は、みやき町にある美しい自然環境を誇る山で、地元の人々や観光客に親しまれています。登山やハイキングを楽しむことができ、頂上からの眺望は絶景です。自然の中でのリフレッシュに最適なスポットです。 山田水辺公園 山田水辺公園は、川辺の自然を楽しむことができる公園で、家族連れやピクニックにぴったりの場所です。水辺に広がる緑豊かな景色を眺めな...»
千栗八幡宮は、佐賀県三養基郡みやき町に位置する由緒ある神社です。肥前国の一宮として広く知られ、かつては国幣小社に指定されており、現在は神社本庁の別表神社に登録されています。社格の高さや歴史の深さから、地域のみならず多くの参拝者に信仰され続けています。 概要 千栗八幡宮は、神亀元年(724年)に肥前国の養父郡司・壬生春成が八幡神の神託を受け、千根(ちこん)の栗が生えている場所に社を建立したと伝えられています。このことから「千栗八幡宮」の名前が生まれました。境内には様々な建造物や摂末社が点在し、特に粥祭が行われるお粥堂や摂社の武雄神社が目を引きます。 一の鳥居(町指定文化財) 千栗八幡宮の...»
筑後大堰は、福岡県久留米市と佐賀県三養基郡みやき町にまたがる一級河川・筑後川本流の河口から23キロメートル地点に建設された堰です。この堰は治水や利水目的で設計され、多目的ダムとしての機能も果たしています。 概要 筑後大堰は、独立行政法人水資源機構が管理する可動堰で、筑後川の治水および福岡地方、筑後地方、佐賀県への水供給を目的に建設されました。筑後川水系水資源開発基本計画に基づき建設されたこの堰は、単なる堰ではなく、多目的ダムとしての役割を果たしています。 建設の背景と経緯 1953年(昭和28年)の西日本水害をきっかけに、経済安定本部が策定した「筑後川水系治水基本計画」に基づいて、筑後...»
天建寺橋は、佐賀県三養基郡みやき町と福岡県久留米市を結ぶ筑後川に架かる橋です。この橋は佐賀県道・福岡県道138号西島筑邦線に属し、PC斜張橋の形式を持っています。天建寺橋の歴史は、地域の人々の生活に密接に関わり、特に過去の悲劇的な事故が現在の橋の建設に影響を与えています。 天建寺橋の歴史的背景 天建寺橋が建設される以前、この地域では「天建寺渡し」という渡し舟が運行されていました。筑後川の改修工事によって孤立してしまった土井外地区と他の地区を結ぶための重要な交通手段でした。特に小学生を含む地域住民は通学や生活のためにこの渡し舟を頻繁に利用していました。 1950年の悲劇 しかし、1950...»
上峰町は、佐賀県東部に位置し、三養基郡に属する静かな町です。この町は、豊かな自然環境とともに、歴史的な名所や史跡が数多く存在し、訪れる人々に歴史の魅力や美しい風景を提供しています。また、地元の特産品や伝統的な祭りも楽しめる地域です。 名所・史跡 堤土塁跡歴史公園 堤土塁跡歴史公園は、上峰町の歴史を感じられる場所です。この公園は、古代の防御施設である土塁の跡を保存・展示しており、訪れる人はそのスケールの大きさに驚かされます。土塁は町の過去の防御体制を知る貴重な遺構であり、歴史好きには必見のスポットです。 都紀女加王墓(つきめかおうぼ) 上峰町の有名な古墳である「上のびゅう塚古墳」は、宮...»
神埼市は、佐賀県東部に位置する市で、古くからの宿場町や文化的遺産が今も残されています。佐賀県の中でも豊かな自然環境に恵まれ、脊振山をはじめとする山々や、筑後川といった河川が市内を流れる風光明媚な地域です。美しい景観や歴史的な名所に恵まれ、多くの観光スポットが点在しています。 神埼市の名所・史跡・観光スポット 九年庵 九年庵は、神埼市を代表する名所の一つで、美しい庭園が魅力です。九州の名勝として知られ、紅葉の季節には多くの観光客が訪れます。この庭園は、九州の富豪・伊東重次郎が明治時代に9年の歳月をかけて造り上げたことから「九年庵」と名付けられました。年に限られた期間のみ一般公開され、その美...»
仁比山地蔵院は、佐賀県神埼市神埼町的(いくは)に位置する天台宗の寺院で、本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩)です。この寺院は長い歴史を持ち、地域の信仰の中心として人々に親しまれています。以下では、仁比山地蔵院の歴史や文化財について詳しくご紹介します。 仁比山護国寺および地蔵院の歴史 かつて仁比山には三十六坊と呼ばれる寺院群があり、その総称を仁比山護国寺(にいやまごこくじ)といいました。この寺院群は、山王日吉宮(現・仁比山神社)の神宮寺で、三十六坊の一つである地蔵院は不動院の末寺として存在していました。しかし、現在では地蔵院のみが残り、その歴史や文化財を後世に伝えています。 仁比山護国寺は...»
仁比山神社は、佐賀県神埼市神埼町に位置する歴史ある神社です。古くは日吉神社、日吉社、山王権現とも称されており、その長い歴史とともに地域の信仰の中心として親しまれてきました。旧社格は県社であり、佐賀藩藩主や地元の人々の庇護のもと、多くの信仰と文化が根付いています。 神社の由来と名称 仁比山神社の創建は、天平元年(729年)に遡ります。この年、当地に松尾大社が勧請されたのが始まりとされています。その後、承和11年(844年)に慈覚大師が唐から帰国した際、土中から日吉宮の額を発見したことが契機となり、朝廷に奏上。仁明天皇はこれを神威とし、比叡山の日吉宮の御分神を合祀するよう命じました。その際に、...»
櫛田宮は、佐賀県神埼市に所在する神社で、旧社格は県社に指定されています。また、博多にある櫛田神社は、この櫛田宮からの分祀により創建されたものです。櫛田宮は、地元では古くから信仰を集め、神埼の歴史と深く結びついた神社として知られています。 神埼荘の三所大明神 櫛田宮は、「神埼荘の三所大明神」の一つとして、高志神社、白角折神社とともに崇敬されてきました。これら3社は「三所大明神」または「三社宮」として、神埼の地を守護する重要な神社として位置づけられています。 櫛田宮の歴史 櫛田宮の創建は、景行天皇(在位は4世紀前半と推定される)が当地を巡行した際に、住民が不幸に苦しんでいるとの報告を受け、...»
吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる丘陵地に広がる、日本の弥生時代の大規模な環濠集落跡です。1986年(昭和61年)の発掘調査によって明らかになり、現在は国の特別史跡に指定されています。この遺跡は、約117ヘクタールにわたる広大なエリアを誇り、弥生時代の生活や文化を伝える貴重な遺産です。現在では、国営吉野ヶ里歴史公園として整備され、多くの観光客が訪れています。 遺跡の概要 吉野ヶ里遺跡は、九州北部の佐賀平野に位置し、標高1,000メートル前後の脊振山地の南側に広がる丘陵地帯にあります。周囲には、田手川や城原川などの川が流れ、昔から水運が盛んだったことがわかります。遺跡の...»
吉野ヶ里町は、佐賀県東部に位置し、神埼郡に属する唯一の町です。町は、弥生時代の環濠集落遺跡として有名な「吉野ヶ里遺跡」の発見に由来しています。この町は歴史的な価値を持ちながらも、現代的な産業と豊かな自然環境に恵まれています。 名所・旧跡・観光スポット 吉野ヶ里町には、歴史的な遺跡や自然を楽しめるスポットが数多く存在します。以下に、代表的な名所や観光スポットをご紹介します。 吉野ヶ里遺跡・吉野ヶ里歴史公園 吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の大規模な遺跡で、日本の古代史を知る上で極めて重要な場所です。遺跡は保存状態が良く、復元された建物や資料館を通じて当時の生活様式や文化を学ぶことができます。広大...»
霊仙寺跡は、佐賀県吉野ヶ里町松隈に位置する歴史的な寺院の遺跡です。この寺院は8世紀初頭の和銅年間に創建され、江戸時代まで存続していました。かつて栄華を誇った寺院の跡地は、今でもその歴史を感じさせる場所として、多くの人々に訪れられています。 霊仙寺の歴史的背景 霊仙寺は、山岳仏教の修験場として、脊振山系の千石山中腹に開山されました。この寺は特に中世の平安時代から鎌倉時代にかけて栄え、その影響は周辺の山地だけでなく、肥前国を超えて北方の筑前国にも及ぶほどでした。寺院の広大な規模は、脊振千坊と呼ばれるほどで、多くの修行者たちが集まり、信仰の場として栄えました。 日本茶の発祥地としての霊仙寺 ...»