有明海沿岸を中心に、日常食として食べられていた。粉茶を入れて炊き込む。米が泳ぐようなさらさらな粥で、藩政時代の米の節約法として生まれたとされる。
お茶でご飯を炊いたかゆ「お茶がい」「お茶がゆ」。幕末時代、財政難に悩んだ佐賀藩第十代藩主鍋島直正が、「御飯粒ひとつも無駄にしてはならない」と質素倹約令を通達し、米の節約術として生まれたと言われている。特に使用人と居住をともにしていた商家では、前夜の冷やご飯と出がらしのお茶、粉茶を使った茶がゆを朝食に出し、多数の使用人をまかなっていたという。その後、有明海沿岸地域を中心に食習慣として根付き、戦後間もなくまでは日常食として家庭でも食べられていた。しかし、経済の高度成長とともに家庭で作られることは減っていったそう。現在は、県内の宿の朝食などで味わうことができる。特に長崎街道の宿場町として栄えた嬉野では、旅の疲れを癒やす“温泉”と“嬉野茶”が古くから有名であった。嬉野ではそんな嬉野茶を使い、「お茶がい」を作っている。「お茶がい」は白がゆと違い、茶の味が染み込んだ素朴な味わいとさっぱりとした後味が特徴で、お茶の作用で粘り気がなく、さらりと仕上がる。夏は冷やして食べるのもおすすめだ。季節によっては、サツマイモを入れて「芋がゆ」にすることもある。
主な伝承地域:佐賀市、小城市、神埼市
主な使用食材:ご飯