百年以上の歴史がある”小城(おぎ)羊羹”は、その昔、砂糖の運搬路であった長崎街道(シュガーロードとも呼ばれる)の通り道であった佐賀県でうまれた銘菓だ。浅めに練り上げた羊羹を箱で一昼夜寝かせて乾燥させることで、表面の砂糖が固まって羊羹ができあがる。その羊羹を包丁で1本1本切り分けていたことから”裁ち羊羹”とも呼ばれた。昔ながらの手作り羊羹は、シャリッとした歯触りが心地よく、素朴な甘さが懐かしい。現在でも、市内には20軒あまりの羊羹店があり、“日本一の羊羹の町”の暖簾を立派に守っている。
人口5万人ほどの小さな市である小城市は、二十軒以上もの羊羹屋がある珍しいまち。全国的にも羊羹の消費量が多い佐賀を支える小城の羊羹は、今や羊羹といえば「小城羊羹」という代名詞となっています。
小城羊羹の特徴は、昔ながらの製法である「切り羊羹」(昔ようかん・断ち羊羹)です。これは外側が砂糖でシャリっと硬くなる伝統的な製法で、全国的にも珍しい作り方です。この製法はシュガーロードの歴史を超えて受け継がれ、今でも小城で守られています。
小城市は鎌倉時代から城下町として栄え、禅や茶道の文化が育まれました。清水川の本流である祇園川が流れ、清潔な水が豊富にあるため、羊羹作りに適していました。また、羊羹は賞味期限が長いため、かつては軍隊の食料としても重宝されていました。そのため、長崎や佐世保の海軍、福岡や久留米の陸軍の中心地に位置する小城市では、羊羹の需要が高まりました。
小城羊羹の歴史は古く、鎌倉時代には中国からもたらされたとされています。しかし、その後、日本の風土や趣向に合わせて改良され、独自の羊羹が生まれました。蒸羊羹から煉り羊羹が発案されたのは江戸時代初期といわれています。
明治時代以降には羊羹製造業者が小城で急増し、日清戦争後には軍隊向けに大量生産され、評判を呼びました。その後も販路は拡大し、隣接する県や東京、朝鮮、満州などにも広がりました。