明治時代の佐賀の実業家、伊丹弥太郎(イタミヤタロウ)の別邸と庭園は、「九年庵」として、平成7年(1995)、国の名勝に指定されました。98坪の別邸は、明治25年(1892)につくられ、庭園は、九州で茶室や築庭において並ぶものなしといわれた名人、久留米のほとり和尚に委託し、明治33年(1900年)から九年の歳月をかけて築いたものです。
別邸は、入母屋葦葺き(イリオモヤヨシブキ)の屋根に杉皮の腰張り(スギカワノコシバリ)の土壁、竹格子の連小窓(レンコマド)や真竹を用いた濡縁など、材質、色感、意匠、構造などのすべてに、細心かつ充分な吟味が加え、茶室と書院の様式を折衷した近代和風の数寄屋建築です。
庭園は、多くのツツジやモミジ、苔など様々な樹木で彩られ四季を通して美しい景色を描き出しています。深い木立は周辺の景観とよく調和し、はるか筑紫野(ちくしの)の広がりと有明海が眺望できる借景庭園となっています。
毎年秋の紅葉が美しい11月と、新緑に癒される春5月に一般公開されています。
国内で美しい紅葉で知られる名勝地である九年庵(くねんあん)は、もともとは佐賀の大実業家である伊丹弥太郎(いたみやたろう)の別邸でした。明治33年からは、浄土真宗の僧である阿和尚(ほとりおしょう)の指導のもと、9年の歳月をかけて建てられました。この由来から「九年庵」と名付けられました。邸宅は数寄屋造りであり、庭園は筑紫平野を借景にしています。庭園にはツツジやモミジなどの植物が配置されており、自生の木立やスギゴケが美しい風景を演出しています。紅葉の時期である毎年11月中旬には、一般公開が9日間行われていましたが、新緑の時期にも一般公開されるようになりました。
明治時代に佐賀の実業家である伊丹弥太郎(イタミヤタロウ)の別邸と庭園は、「九年庵」として平成7年(1995年)に国の名勝に指定されました。別邸は98坪で、明治25年(1892年)に建てられ、庭園は久留米で名高い茶室や築庭の名人であるほとり和尚によって設計され、明治33年(1900年)までの九年間をかけて築かれました。
別邸は入母屋の葦葺き屋根や杉皮の腰張り土壁、竹格子の連小窓、真竹を使用した濡縁など、材質、色彩、デザイン、構造など、すべてにおいて細心かつ入念な吟味が行われ、茶室と書院の要素を取り入れた近代和風の数寄屋建築となっています。
庭園にはツツジやモミジ、苔などさまざまな樹木が植えられ、四季折々の美しい景色を描き出しています。豊かな樹木に囲まれた庭園は周辺の風景と調和し、遠く筑紫野の広がりや有明海を一望できる借景庭園となっています。
毎年、紅葉が美しい11月と新緑に癒される5月には、一般公開が行われています。
秋の九年庵は絶景
秋の九年庵は、さまざまな種類の紅葉が微妙に異なる色合いを作り出し、美しいグラデーションを描きます。庭園と周囲の山々が一体化し、まるで別世界のような美しさが広がっています。苔の緑とのコントラストも見事です。
春の九年庵
九年庵は国の名勝であり、佐賀の実業家である伊丹弥太郎の別荘と庭園です。9年をかけて築かれた庭園には、モミジなどさまざまな樹木が彩りを添えています。
春にはみずみずしいモミジや苔の新緑が庭園全体を鮮やかに彩ります。
九年庵の名前の由来
「九年庵」という名前は、元々現在の庭園の西北端に建てられた14坪の茶室(現在は解体されています)を指していました。また、「九年」とは庭園が九年の歳月をかけて造られたことに由来します。
九年庵の概要
総面積:約28,000平方メートル(うち山林22,000平方メートル)
庭園面積:6,800平方メートル、建物面積:97坪(約320平方メートル)
持ち主
九年庵は、明治25年から大実業家の伊丹弥太郎氏が巨額の費用と長い歳月をかけて完成させました。その後、倉田氏が所有し、昭和57年に県が土地を購入し、建物は倉田氏から県へ寄贈されました。
植生
約60種類(約700本)
ツツジ類:265本、モミジ類:134本、苔類:約40種類(ウマスギゴケ、ホソバオゴケ、カガミゴケなど)
九年庵(くねんあん)は、佐賀県神埼市神埼町的仁比山にある、数寄屋造りの邸宅と日本庭園です。
概要
九年庵は、1892年(明治25年)に実業家の伊丹弥太郎によって建てられた別邸であり、仁比山護国寺三十六坊の塔頭である不動院と子院である仁比山地蔵院跡に位置しています。庭園は久留米の作庭家である阿(ほとり)和尚によって9年の歳月をかけて築かれました。広さ約6,800平方メートルの庭園にはモミジやツツジなどの木々が広がっています。
1982年(昭和57年)に佐賀県が土地を購入し、所有者が建物を県に寄贈したことで、九年庵は県の所有となりました。1995年(平成7年)2月21日に国の名勝に指定されました。
1988年(昭和63年)から秋に一般公開が行われており、2010年(平成22年)からは春にも一般公開されています。
茶室
1920年(大正9年)に九年庵の西北に茶室が建築されました。この茶室には「九年庵」という扁額が掲げられていました。本来、「九年庵」とはこの茶室を指していたのですが、後に解体されてしまいました。
11月中旬 8:30~16:00
【電車】JR神埼駅から三瀬脊振行き昭和バス約10分「仁比山神社前」下車徒歩すぐ
【車】長崎道 東脊振ICから約10分