須賀神社は、佐賀県小城市小城町松尾に位置する神社です。この神社は、旧社格が県社であり、古くから地域の信仰を集めてきました。周辺の歴史や自然と深く関わっており、地元住民や観光客にとっても重要な場所です。
須賀神社は祇園川の北側にある小高い丘、かつて千葉氏の山城であった千葉城(別名:祇園城・牛頭城・牛頸城)があった場所に鎮座しています。神社の入り口には一の鳥居と神門があり、そこを潜ると、急峻な山肌を一直線に登る153段の石段が続きます。この石段は本殿へと続く参道となっており、その途中には肥前鳥居の二の鳥居も見られます。
石段を登りきると、拝殿があり、その天井には美しい天井絵が残されています。さらに、その奥には石垣の上に本殿が建てられています。この神社は「祇園さん」や「お祇園さん」として、地元の人々に親しまれています。
須賀神社の社殿は、時代の流れの中で幾度かの修復や再建が行われてきました。現在の社殿は、明治時代に再建されたものですが、神門や拝殿などの建築物には古くからの歴史と伝統が色濃く残っています。特に拝殿の天井絵は見事であり、訪れる人々に神社の荘厳さを感じさせます。
須賀神社の歴史は非常に古く、延暦22年(803年)に創建されたとされています。当初は「清祠(せいし)」と称し、佐賀郡、小城郡、杵島郡の三郡にまたがる地域の宗廟(祖先を祀る神社)として栄えました。鎌倉時代の末期、1316年(正和5年)には関東の下総国から九州に下向した千葉胤貞が城山に千葉城を築き、その後、彼が須賀神社を現在の形で建立しました。
千葉胤貞は、京都の祇園社(現在の八坂神社)から御分霊を勧請し、神体の木像を納めました。これにより、須賀神社は千葉氏の守護神としての役割を持つようになりました。戦国時代には、龍造寺隆信や鍋島直茂といった有力な武将たちが社地や社領を寄進し、神社の維持と発展に貢献しました。
しかし1828年(文政11年)、須賀神社は火災によって大きな被害を受けました。この際に社殿は焼失してしまいましたが、その後、地域の信仰を集めて再建が進められました。1876年(明治9年)には、廃仏毀釈の影響を受け、社号が「祇園社」から「須賀社」に改称され、現在の須賀神社の名が定着しました。
須賀神社の祇園会は、旧暦1月15日の「花紫祇園」、6月15日の「団扇祇園」、8月15日の「柿祇園」という3つの祭りから成り立っています。特に団扇祇園で行われる山車(だし)曳きは、千葉胤貞が軍事訓練の一環として始めたものが起源とされています。この山車曳きは、五穀豊穣や疫病退散、地域の安全を祈願する重要な祭りとして続いており、現在でも地元の住民たちによって大切に守られています。
江戸時代には、小城藩の藩士たちもこの祭りに参加し、祭りは大いに盛り上がりました。しかし、1843年(天保14年)には藩主・鍋島直正による倹約令により、一時山車曳きが中止されました。しかし、明治時代に入り、再び祭りが復活し、現在では「小城祇園夏祭り」として毎年7月の第四日曜日に行われるようになりました。この祭りは、地元の風物詩として多くの人々に愛されています。
特に、下町の山鉾は毎年ツタやカズラを用いて組み上げられ、山挽行事が始まった当初の製作技法が今でも受け継がれているとされています。このような伝統的な技法は、地域の文化財としての価値も高く、多くの観光客にとっても魅力的な要素です。
須賀神社の特徴的な石段は、映画やテレビドラマのロケ地としても知られています。1989年の映画「男はつらいよ ぼくの伯父さん」や2010年の映画「ソフトボーイ」では、この神社の石段が撮影場所として使用されました。神社の静寂と自然に囲まれた環境は、映画や写真撮影にもぴったりのロケーションです。
須賀神社の境内には、長い歴史を物語る大きな楠(くすのき)がそびえ立っています。この楠は、地域のシンボルともなっており、多くの人々がその大きさと美しさに感嘆します。参拝者は、この楠の下で心を落ち着け、自然の力を感じることができます。
須賀神社へは、佐賀県小城市にある唐津線の小城駅からアクセスすることができます。また、佐賀県道44号小城富士線に面した場所に一の鳥居があり、車でのアクセスも便利です。神社の周辺には、自然豊かな環境が広がっており、訪れる人々は四季折々の風景を楽しむことができます。
須賀神社は、佐賀県小城市の歴史と文化を深く刻んだ神社であり、その神聖な雰囲気や長い歴史、祇園会の伝統的な祭りなど、訪れる人々に多くの感動を与えます。映画の撮影地としても知られ、観光スポットとしても魅力的です。是非、次回の佐賀訪問の際には須賀神社を訪れ、その荘厳な雰囲気を味わってみてください。