佐賀県佐賀市に位置する與止日女神社(与止日女神社)は、肥前国一宮として古くから崇拝されてきた神社です。その格式は旧社格で県社に列し、式内社としても名を連ねています。また、この神社は「淀姫神社」とも表記され、通称「淀姫さん」としても広く知られています。
與止日女神社は、三の鳥居や嘉瀬川に沿って美しい自然に囲まれた境内を持ち、市指定文化財の「肥前鳥居」も見どころのひとつです。特に三の鳥居は、歴史的な価値を持つ肥前鳥居で、神社の重要な文化財として保存されています。
與止日女神社の創建は、『肥前国風土記』逸文に記録されています。欽明天皇25年(564年)に、與止日女命(よどひめのみこと)がこの地に鎮座したとされています。この神社は、特に嘉瀬川にまつわる水神信仰が深く、豊かな自然と結びついた神聖な場所として知られています。
平安時代には、與止日女神社は肥前国の一宮として高く評価されました。延喜式神名帳では「與止日女神社」として記載され、当時の神社の重要性を物語っています。また、弘長元年(1260年)には正一位を授けられ、神社の格式がさらに高まりました。弘安の役(1281年)では、與止日女大神の神霊が敵の船を打ち砕いたという伝説もあります。
江戸時代には、与止日女神社はさらに発展し、慶長7年(1602年)には後陽成天皇から「大日本国鎮西肥前州大一之鎮守」との勅額を賜りました。これにより、與止日女神社が正式に肥前国一宮とされたことが示されています。文化10年(1813年)には火災で焼失しましたが、文化13年(1816年)に鍋島家によって再建され、現在の形に復元されました。
與止日女神社の主祭神は與止日女命です。與止日女命は神功皇后の妹とされ、一説には豊玉姫とも伝えられています。また、肥前国風土記には「與止姫神」の別名として「豊姫」や「淀姫」と記されており、北九州地方ではこの神を祀る神社が多数存在します。
與止日女神社は、長い歴史の中で多くの神階を授けられてきました。貞観2年(860年)には従五位上、貞観15年(873年)には正五位下、そして弘長元年(1260年)には正一位を授与され、神社の重要性が高まっていきました。
與止日女神社の境内には、いくつかの重要な建築物があります。特に拝殿は、正面五間、側面三間の入母屋造で、唐破風付きの豪華な建築です。また、本殿は五間社流造で、境内の中核を成す重要な建物です。拝殿には天井絵馬や三十六歌仙の絵札が飾られており、その絵巻物は豊玉姫や菅原道真公にまつわる物語を描いています。
與止日女神社には多くの文化財が指定されています。国指定の重要文化財としては、「河上神社文書」が挙げられます。これらの文書は、平安時代から室町時代にかけての247通の文書で、九州における一宮の発展や大宰府との関係を示しています。県指定の重要文化財には西門があり、元亀4年(1573年)に造営された四脚門です。また、市指定文化財としては三の鳥居があり、石造の肥前鳥居として有名です。
この地域では、なまずは與止日女命の使いとされ、決して食べられることがありません。肥前風土記には「魚を畏むものは殃無く、捕り食えば死ぬことあり」と記されており、この魚がなまずであると伝えられています。
與止日女神社には「白玉饅頭」という門前菓子が伝わっており、神社にまつわる伝説から生まれたものです。この菓子は、神社を訪れる参拝者に愛されてきました。
與止日女神社は佐賀県佐賀市大和町大字川上1に位置しています。周辺には、肥前国庁跡や佐賀県最大の前方後円墳である船塚古墳などの歴史的な遺跡も点在しており、歴史散策に適したエリアです。
與止日女神社へのアクセスは、JR九州の長崎本線佐賀駅からバスで「川上橋」バス停で下車し、徒歩ですぐの場所にあります。また、車では佐賀駅から約20分の距離にあり、周辺には駐車場も整備されています。
與止日女神社の周辺には、肥前国庁跡や船塚古墳などの観光名所があります。歴史的な背景を持つこれらの場所は、与止日女神社とともに佐賀市の観光スポットとして訪れる価値があります。
與止日女神社では、毎年多くの祭事が行われています。特に春祭(4月18日)、秋祭(10月10日)、新嘗祭(12月18日)は、地域の人々によって盛大に執り行われています。これらの祭りは、神社の長い歴史と深い信仰を感じることができる貴重な機会です。
與止日女神社は、佐賀県を代表する神社のひとつであり、その歴史的背景や信仰は非常に深いものです。境内に残る文化財や伝説は、訪れる人々に歴史の重みと神聖さを感じさせるでしょう。また、嘉瀬川に寄り添う美しい自然の中で、古くからの信仰を大切に守り続けているこの神社は、訪れる価値のある場所です。