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天建寺橋

(てんけんじばし)

天建寺橋は、佐賀県三養基郡みやき町と福岡県久留米市を結ぶ筑後川に架かる橋です。この橋は佐賀県道・福岡県道138号西島筑邦線に属し、PC斜張橋の形式を持っています。天建寺橋の歴史は、地域の人々の生活に密接に関わり、特に過去の悲劇的な事故が現在の橋の建設に影響を与えています。

天建寺橋の歴史的背景

天建寺橋が建設される以前、この地域では「天建寺渡し」という渡し舟が運行されていました。筑後川の改修工事によって孤立してしまった土井外地区と他の地区を結ぶための重要な交通手段でした。特に小学生を含む地域住民は通学や生活のためにこの渡し舟を頻繁に利用していました。

1950年の悲劇

しかし、1950年(昭和25年)2月13日、強風により渡し舟が転覆し、乗船していた45人の小中学生や教員が被害を受けました。この事故では6人の小学生が命を落とし、地域全体が深い悲しみに包まれました。この出来事が契機となり、天建寺橋の建設が進められることとなりました。

橋の建設と改修

事故から4年後、1954年に天建寺橋が完成しましたが、最初に建設された橋は車道の幅が4.5メートルしかなく、車同士がすれ違うことが困難でした。そのため、橋の上部に2か所、幅員を5.5メートルに拡張した部分が設けられました。その後、1999年(平成11年)に現在の天建寺橋が開通し、より安全で利便性の高い橋となりました。

事故の教訓と地元への影響

土井外地区には、この事故を忘れないために「学童遭難之碑」と「六地蔵」が建立されました。特に事故の際、下級生を助けようとした上級生が力尽きて亡くなったことが深く語り継がれており、地域の教育にもその教訓が生かされています。みやき町立三根中学校では、この事故を題材にして命の大切さを学ぶ道徳の授業が行われています。

天建寺橋の構造と特徴

天建寺橋の全長は426メートル、総幅員は14.60メートルです。この橋は、筑後川を一望できる場所に位置しており、橋上からは久留米市の中心部や筑後川の下流を眺めることができます。また、橋の構造はPC斜張橋という形式で、強度と美しさを兼ね備えたデザインとなっています。

天建寺橋にまつわるイベント

2009年から、天建寺橋を通行止めにして開催される「県境フェスティバル」というイベントが行われています。このイベントは、みやき町商工会青年部と久留米南部商工会青年部によって主催され、福岡県と佐賀県の両県民が参加する大綱引きがメインイベントとなっています。地域を超えた交流の場として、多くの人々が参加し、地域の絆を深める貴重な機会となっています。

まとめ

天建寺橋は、単なる交通手段としての橋ではなく、地域の歴史や悲劇、そして再生の象徴です。1950年の事故を教訓に、命の尊さを次世代に伝えるための教育が続けられ、地域の絆が強化されています。また、現在の橋は地域の人々だけでなく、観光客にとっても筑後川の景観を楽しめる場所として親しまれています。毎年のイベントも地域の活性化に寄与しており、天建寺橋はこれからも地域のランドマークとして重要な役割を果たしていくことでしょう。

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天建寺橋
(てんけんじばし)

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