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櫛田宮

(くしだぐう)

櫛田宮は、佐賀県神埼市に所在する神社で、旧社格は県社に指定されています。また、博多にある櫛田神社は、この櫛田宮からの分祀により創建されたものです。櫛田宮は、地元では古くから信仰を集め、神埼の歴史と深く結びついた神社として知られています。

神埼荘の三所大明神

櫛田宮は、「神埼荘の三所大明神」の一つとして、高志神社、白角折神社とともに崇敬されてきました。これら3社は「三所大明神」または「三社宮」として、神埼の地を守護する重要な神社として位置づけられています。

櫛田宮の歴史

櫛田宮の創建は、景行天皇(在位は4世紀前半と推定される)が当地を巡行した際に、住民が不幸に苦しんでいるとの報告を受け、神を祀るために建てられたことに始まるとされています。神を祀ることで災厄が収まり、この地を「神幸(かむさき)」と呼ぶようになり、これが現在の「神埼」の地名の由来とされています。

また、元寇の際には、櫛田宮の霊剣が福岡の櫛田神社に移され、祈祷によって元軍を退けたという伝承も残っています。博多の櫛田神社は、櫛田宮から分祀された神社であり、このように両社は深いつながりを持っています。

さらに、鎮守として高志神社、白角折神社とともに神埼荘の守護神として崇敬され、現代でも「みゆき大祭」と呼ばれる祭礼において、これら3社の神輿が奉納される伝統が続いています。

社殿の造営と歴史的な関係

永久3年(1115年)には、鳥羽天皇の勅命により社殿が造営されました。このとき、勅使として派遣された本告道景と伴兼直は、神埼に定住し、後に両氏は武士となりました。この二家は、櫛田宮を含む三所大明神の宮司を務め、その後も代々神社を守り続けました。

神埼一帯の総鎮守として、櫛田宮は長らく地域住民から崇敬されてきました。神社には平安時代後期以降の造営に関する古文書が残されており、朝廷や幕府、地元領主による度重なる修繕が行われたことが記録されています。江戸時代には、長崎街道の整備に伴い、神埼宿が櫛田宮周辺に形成されました。

明治4年(1871年)には郷社、明治13年(1880年)には県社に列せられ、その歴史的な地位を確立しています。

祭神と境内社

櫛田宮の祭神

櫛田宮には、「櫛田三神」として以下の神々が祀られています。

境内社

櫛田宮の境内には、以下の境内社があります。

主な祭事

春祭

櫛田宮では毎年4月7日・8日に春祭が行われます。特に、西暦末尾が偶数年の4月第一土・日曜日には「みゆき大祭」と称して大規模な祭礼が催され、御神幸や神楽の奉納が行われます。2010年の大祭は4月3日・4日に執り行われました。

秋祭

毎年10月7日・8日には、秋祭が開催されます。この祭事も、地元住民にとって重要な行事の一つです。

文化財と指定品

佐賀県指定重要文化財

佐賀県指定重要民俗文化財

太神楽(だいかぐら) - みゆき大祭の「先払い」として行列の先頭で供奉される獅子舞です。尾崎地区の住民によって行われ、現在は尾崎西分と尾崎東分が交互に担当しています。1966年に佐賀県指定重要民俗文化財に指定されています。

神埼市指定重要文化財

櫛田宮文書 - 神埼市の指定重要文化財として、櫛田宮に関する古文書が保管されています。

神埼市指定重要無形文化財

締元行列 - みゆき大祭の御神幸に随従する行列です。

記念物・樹木

櫛田宮には、伝説的な樹木である「琴の楠」があります。この楠は、景行天皇が巡行した際に埋めた琴が楠になったと言われており、7回半周すると「琴の音色が聞こえる」と伝えられています。この木の樹齢は約1000年とされ、県の名木として登録されています。

アクセス情報

櫛田宮へは、JR長崎本線神埼駅から南西方向へ徒歩約10分で到着します。

Information

名称
櫛田宮
(くしだぐう)

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