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吉野ヶ里歴史公園

(よしのがり れきし こうえん)

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵には、国の特別史跡「吉野ヶ里遺跡」があります。この遺跡は、弥生時代最大級の環濠集落で、2重の堀に囲まれ、2000基以上のかめ棺墓や楼観、高床式の倉などが発掘されています。

また、楼観や竪穴式住居、高床式倉庫などが復元され、発掘品の展示館もあります。

遺跡内では、弥生時代の大規模な環壕集落を約100棟の復元建物で再現しており、魏志倭人伝に伝えられる邪馬台国を思わせる風景が広がっています。まるで弥生時代にタイムトリップしたかのような感覚を味わえます。

建物の内部では当時の様子が再現され、弥生時代の衣装を着て回ることもできます。また、毎日「勾玉づくり」や「火おこし」などの体験プログラムが開催されており、週末には特別な体験も楽しめます。

遺跡内には広大な芝生広場もあり、遊具やビッグボールで遊ぶことができます。また、野外炊事コーナーではバーベキューも楽しめます。観光やレジャーにぴったりのスポットです。

吉野ヶ里遺跡は、神埼市と吉野ヶ里町にまたがる日本最大級の弥生時代の環壕集落跡です。全長2.5kmにわたる壕に囲まれており、多くの住居跡、高床倉庫群跡、3,000基以上のかめ棺墓、そして弥生時代中期の王の墓と考えられる墳丘墓などが発掘されています。墳丘墓からは、高度な技術を持つ有柄銅剣やガラス製の管玉などが見つかり、中国大陸や朝鮮半島との交流を示唆しています。吉野ヶ里遺跡は、国の特別史跡に指定され、吉野ヶ里歴史公園も整備されています。

吉野ヶ里歴史公園では、物見やぐらや竪穴住居、高床倉庫などが再現され、弥生時代の雰囲気を味わうことができます。公園は入口ゾーン、古代の森ゾーン、環壕集落ゾーン、古代の原ゾーンの4つのゾーンに分かれており、入口ゾーンでは吉野ヶ里歴史公園に関する情報を得ることができます。古代の森ゾーンでは、弥生時代の植生を再現しています。環壕集落ゾーンでは、主祭殿や物見櫓などの建物を見学することができ、弥生時代の生活や文化を体験することもできます。また、展示室では出土品などを見ることができます。古代の原ゾーンには広大な芝生と物見櫓風の大型遊具があり、体を動かして楽しむことができます。

吉野ヶ里遺跡では、春にはウマノアシガタや古代の野草、初夏にはベニバナや大賀ハスなどの植物を楽しむことができます。また、毎日「勾玉づくり」や「火おこし」などの体験プログラムも開催されています。吉野ヶ里遺跡を訪れることで、古代の風景や文化を身近に感じることができます。

吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼市と吉野ヶ里町にまたがる遺跡で、国の特別史跡に指定されています。この遺跡は、弥生時代の大規模な環濠集落の跡地であり、およそ117ヘクタールにわたって広がっています。1986年からの発掘調査によって明らかにされました。現在は国営吉野ヶ里歴史公園として、一部が国によって管理されています。

遺跡の特徴の一つは、集落の防御に関連した遺構です。弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠が作られ、外壕はV字型に深く掘られており、延長約2.5キロメートルにわたります。この外壕には木柵や土塁、逆茂木などの柵が設置され、敵の侵入を防ぎました。さらに、環濠内には物見櫓が複数置かれていました。内郭には2つの建物群があり、竪穴建物や高床建物が見つかっています。また、高床倉庫や貯蔵穴、土坑、青銅器の製造跡なども発掘されました。

甕棺や石棺、土坑墓などには多くの遺体が集まっており、一般の人々の共同墓地であると考えられています。一方、遺跡の南部と北部には2つの墳丘墓があり、集落の首長などの墓である可能性があります。甕棺の中からは、怪我をしたり矢じりが残る人骨や首のない骨などが見つかり、激しい戦闘の痕跡が窺えます。また、ガラス製の管玉などの装飾品も一緒に埋葬されていることも多く、豪華な葬送儀礼が行われていたことがわかります。

土器や石器、青銅器、鉄器、木器などの多くの遺物が出土しており、勾玉や管玉などのアクセサリー類、銅剣、銅鏡、織物などの装飾品や祭祀に使われた品々が含まれています。遺

跡の周辺部では1998年に銅鐸も発見されました。これらの出土品や遺構には、九州北部や日本各地の他の遺跡と共通点や類似点が見られるだけでなく、中国大陸や朝鮮半島、南西諸島とも関連性があることが分かっています。

遺跡内には、消滅した集落の後に造られたと考えられる前方後方墳も3基存在しています。

歴史
旧石器時代では、ナイフ型石器、台形石器、尖頭器などが見つかりました。

縄文時代後期には、吉野ヶ里丘陵の周辺で人々が生活していたと推定されます。土器片も発見されています。

この地域に人が住み始めた理由の一つは、海に近い立地だったことです。縄文時代前期には、最終氷期が終わり暖かくなった時期に「縄文海進」と呼ばれる海面上昇がありました。有明海は吉野ヶ里丘陵の南端に広がり、遺跡から2-3キロメートルの距離にあったと推定されます。

有明海は干満の差が大きく、浅瀬も多かったため、干満の差を利用した水運や豊富な貝やカニの供給など、良好な条件が揃っていました。これらの要素が組み合わさり、この地域で人々が定住し始めたと考えられています。

弥生時代になると、紀元前4世紀頃に吉野ヶ里丘陵内に集落が形成され始め、大規模な集落へと発展していきました。

初期には吉野ヶ里丘陵のいくつかの場所に分散した集落が形成され、南側の集落には環濠が現れました。

中期になると、吉野ヶ里の丘陵を一周する環濠が作られました。集落は発展し、防御が強化されました。墳丘墓や甕棺も見られるようになりました。大きな墳丘墓は長方形に近く、高さは4.5メートル以上と推定され、その上に14基以上の甕棺が埋葬されることもありました。これは他の地域では見られない特徴です。

後期になると、環濠はさらに拡大し、二重の構造になりました。建物も巨大化し、3世紀ごろには集落は最盛期を迎えました。北内郭と南内郭の2つの内郭ができ、文化の発展が見られました。甕棺の数から推測すると、吉野ヶ里を中心におよそ1,200人、全体のクニ(国)では約5,400人

が暮らしていたと考えられます。

海岸線は次第に遠ざかり、この時代には神埼市千代田町や佐賀市諸富町付近に位置していました。筑後川の河口も移動し、遺跡からは港の存在が示唆されています。吉野ヶ里丘陵は、城原川や田手川を通じてこの港と交流を持っていたと考えられています。

吉野ヶ里墳丘墓の起源には、中国江南や山東半島を経由せずに、中国江南や山東半島から直接伝わったとする研究もあります。

古墳時代に入ると、吉野ヶ里遺跡の濠は土器で埋め尽くされ、集落はほぼ消滅しました。同様のことは近畿地方や他の地域の環濠集落でも起こりました。

また、高地性集落もなくなりました。戦乱が収まり、濠や土塁、高地性集落が必要なくなったためです。古墳時代になると、吉野ヶ里遺跡では住居が減少し、丘陵は墓地となり、前方後円墳や周溝墓が築かれました。人々は低湿地を開墾して水田を作り、生活の基盤を平野に移しました。

律令制時代(奈良・平安時代)には、神埼郡の役所のような建物が存在したと推定されています。

律令制時代には、土地の区画整理が行われましたが、「吉野ヶ里」の「里」という呼称は現在でも使用され、旧神埼郡内には他にも「○○ヶ里」という地名が多く見られます。

近代に入ると、佐賀の乱では吉野ヶ里周辺で激しい戦闘が展開されました。昭和時代に入ると、弥生土器や甕棺墓などの遺物が発掘されるようになり、学術的な研究も始まりましたが、大きな注目を集めることはありませんでした。

工場団地造成計画
1970年代には、農地や果樹園の造成や土採りのために、吉野ヶ里丘陵の一部が破壊されました。同時に、この頃から吉野ヶ里丘陵一帯で甕棺が多く出土するようになりました。県立高校の移転改築の候補地にもなりましたが、広範囲にわたって遺物が出土していたため、計画は断念されました。

1970年代後半になると、佐賀県は吉野ヶ里丘陵南部に工場団地を開発するための調査計画を立てました。しかし、事前調査に追われて実施に至らなかったのです。

1980年代に入り、佐賀県は企業誘致のために吉野ヶ里丘陵南部に工場団地を開発する計画を立てました。その際、文化財の発掘調査が必要とされ、1983年から事前調査が始められました。1986年に行われた本格的な調査により、約59ヘクタールもの広範囲にわたって遺跡が広がっていることが明らかになりました。これにより県は工場団地計画を縮小することになりました。

本格的な発掘
2000年の発掘現場。発掘は長期にわたって行われました。
考古学者の佐原真をはじめとする専門家や市民団体による啓発活動が盛んになり、1989年2月23日には一部の報道機関によって大々的な報道が始まりました。実は、その前日の2月22日に「吉野ヶ里遺跡で大規模な環濠集落が発見された日」とされています。これにより、全国から大勢の見学者が連日訪れるようになり、県は同年3月に遺跡と重複する地域の開発を中止することを決定しました。

その後、1990年5月に史跡、1991年4月に特別史跡に指定され、1992年には閣議によって国営歴史公園の整備が決定されました。

初めの報道では、邪馬台国に関連する遺跡ではないかとの見方もあり、一部では九州

王朝説も取り上げられました。しかし現在では、吉野ヶ里遺跡は単に九州北部に存在した複数の「クニ」の一つであったという見方が主流です。

ちなみに、2006年4月6日には日本100名城の88番に選定されています。

Information

名称
吉野ヶ里歴史公園
(よしのがり れきし こうえん)
リンク
公式サイト
住所
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
電話番号
0952-55-9333
営業時間

9:00~17:00
6~8月 9:00~18:00

定休日

なし

料金

大人(15才以上)460円
シルバー(65才以上)200円
中学生以下 無料

駐車場
有料 1000台
アクセス

列車:JR長崎本線「吉野ヶ里公園駅」「神埼駅」より徒歩15分

車:長崎自動車道「東脊振IC」より約5分

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