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祐徳稲荷神社

(ゆうとく いなり じんじゃ)

日本三大稲荷の一つ

京都の伏見稲荷大社と茨城の笠間稲荷神社と共に「日本三大稲荷」の一つとして知られ、衣食住を守る神様です。

年間約300万人もの参拝者が訪れ、九州では福岡の太宰府天満宮に次いで多い参拝者数です。

美しい極彩色の漆で仕上げられた本殿、神楽殿、楼門は、「鎮西日光(ちんぜいにっこう:九州の日光東照宮)」と称されるほど立派です。本殿の先には奥の院へ向かう朱色の鳥居が続き、奥の院からは有明海までの絶景を一望することができます。

境内には神社にゆかりのある宝物が展示されている博物館もあります。四季折々の自然が豊かなため、春には桜が境内を彩り、秋には紅葉したモミジやイチョウが美しい風景を作り出します。また、外苑である東山公園は市内でも有名な花の名所であり、一目5万本のツツジのほか、桜やコスモス、菜の花なども楽しむことができます。

創建年は1687年です。鹿島藩主であった鍋島直朝の夫人である万子(花山院の娘で後に祐徳院と名乗る)が、鍋島家に嫁ぐ際に、同じく京都にある花山院に祀られていた稲荷神社の分霊を奉祀しました。鍋島家の信仰が厚かったため、社殿の建築費用は藩の負担でまかなわれました。

この神社は、農作業や漁業、商工業の人々にとって守護神として信仰され、多くの参拝者が訪れます。

昭和24年には、大きな社殿が火災により失われましたが、昭和32年に再建されました。神域内には神殿、拝殿、回廊、神楽殿、社務所、楼門などの建物があります。特に主要な建物は、美しい漆塗りで彩られ、見事な極彩色の楼門などは威厳に満ちた風格を備えています。また、境内にある命婦社は、木彫りの技術などが高く評価されています。

祐徳稲荷神社は、佐賀県鹿島市に位置する神社で、かつては県社の地位を持つ神社でした。別名「鎮西日光」とも呼ばれ、西日本を代表する神社として知られています。この神社の楼門は、修復職人たちによって日光東照宮の陽明門を模して作られました。

伏見稲荷大社や笠間稲荷神社とともに、「日本三大稲荷」の一つに数えられています。年間約300万人もの参拝者が訪れ、九州の神社では太宰府天満宮に次ぐ参拝者数です。この神社は、衣食住や生活全般の守護神として尊ばれ、商売繁盛や家運繁栄などを願って信仰されています。

祐徳稲荷神社の由緒は、鹿島藩初代藩主である鍋島直朝が、後陽成天皇の孫で左大臣花山院定好の娘である萬子媛(まんこひめ)を妻としました。萬子媛は伏見稲荷大社から稲荷大神の分霊を勧請しました。萬子媛が鍋島家に嫁ぐ際に、父から稲荷大神の神鏡を授けられていました。

1687年、鍋島家は石壁山に社殿を建立し、萬子媛自らが奉仕していましたが、1705年に石壁山窟の寿蔵で断食し入定しました。その後、「祐徳院」という名前で萬子媛を祀り、稲荷神とともに信仰を集めるようになりました。

明治時代の神仏分離の際には、仏式の行事は廃止され、祐徳稲荷神社と改称されました。その際、萬子媛が入定した寿蔵は石壁神社として位置づけられ、萬子媛には「萬媛命」という神号が授けられました。

現在の本殿は、昭和初期に建て直されたもので、昭和32年に伊勢神宮造営局長の角南隆の設計により再建されました。現在の本殿は3代目であり、総漆塗りで作られています。

斎藤茂吉や野口雨情も祐徳稲荷神社を詠んだ詩を残しています。

境内には、錦波川を挟んで西側に本殿、神楽殿、楼門があります。楼門の北側には参集殿があり、さらにその北側には日本庭園が広がっています。本殿は高台に位置していますが、有料のエレベーターも備えられています。

境内の入口から北に向かう参道には門前商店街が立ち並び、その最北端には無料駐車場があり、約3,000台の駐車スペースが用意されています。

また、錦波川の東側には祐徳バス門前出張所(祐徳神社前バス停)があります。さらに、駐車場の脇には祐徳博物館があり、神社が所蔵する美術工芸品や鎧、刀、鹿島錦などの地元の資料が展示されています。

Information

名称
祐徳稲荷神社
(ゆうとく いなり じんじゃ)
リンク
公式サイト
住所
佐賀県鹿島市古枝乙1855
電話番号
0954-62-2151
駐車場
無料 3000台
アクセス

JR長崎本線「肥前鹿島」駅より、駅前の「鹿島バスセンター」停留所から「祐徳神社前」行きの祐徳バスに乗車し、「祐徳神社前」バス停で下車

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