茶畑に囲まれた美しい田園地帯に位置する温泉です。温泉街には旅館が沿道に立ち並び、静かで落ち着いた雰囲気が漂っています。
嬉野温泉は、武雄温泉とともに佐賀県を代表する温泉地です。この温泉地は「日本三大美肌の湯・嬉野温泉」という名前でも知られています。
泉質
泉質はナトリウム・炭酸水素塩・塩化物泉であり、美肌に効果があるとされています。美肌に効果がある重曹泉で、入浴後は肌がつるつるとしていることが特徴です。この泉質は温泉評論家の藤田聡によって「日本三大美肌の湯」として選ばれています(他の2つは斐乃上温泉と喜連川温泉)。
温泉街
嬉野温泉の温泉街は、町の中心部に位置し、九州でも有数の大きな温泉街です。塩田川(嬉野川)を挟んで約50軒の旅館が立ち並び、その中には1987年に昭和天皇が宿泊した和多屋別荘などもあります。また、1830年に創業されたとされる最も古い旅館である旅館大村屋もこの温泉街にあります。
温泉街の中心部には足湯広場があり、「シーボルトの足湯」という名前の無料の足湯を利用することができます。また、近くには1924年にドイツ人の設計で建てられた公衆浴場「古湯」がありましたが、老朽化と福岡県西方沖地震の影響で取り壊されました。しかし、2010年に当時の設計通りに建て直され、「シーボルトの湯」として再開されました。
嬉野温泉は美肌の湯としても知られており、飲用にも適しています。特に温泉を使って炊いた温泉湯豆腐は嬉野の名物料理です。また、「嬉野温泉湯どうふ」という名称で愛されています。
歴史
嬉野温泉の歴史は非常に古く、4世紀後半の神功皇后の西征にまで遡ります。伝説によれば、帰途に神功皇后が傷を負っていた白鶴を見つけて心配していたところ、河原に舞い降りて傷を癒すため温泉に浸かり、元気に去っていく様子を見て「あな、うれしや」と感嘆したとされています。この言葉が転じて「うれしや」と呼ばれるようになり、嬉野という地名が生まれたと言われています。また、和銅七年(714年)に記された肥前国風土記にも嬉野の名湯が万人の病を治すと記されています。
江戸時代には嬉野は長崎街道の宿場町として栄え、和漢三才図会や江戸紀行にも嬉野温泉の様子が記されています。その頃から歓楽温泉としても知られるようになりました。
戦後は別府に次ぐ歓楽温泉地として名を馳せました。各旅館は温泉旅館は風格が調っており、それぞれが趣を持った風呂を提供しています。また、イベントも多く開催されます。
嬉野市では茶の栽培が古くから行われており、嬉野温泉とお茶を結びつけた取り組みも行われています。
西九州新幹線 嬉野温泉駅よりJR九州バスで約13分
佐世保線 武雄温泉駅よりJR九州バスで約30分