佐賀県藤津郡太良町に位置する竹崎観世音寺と、その周囲に広がる竹崎島は、歴史や文化、自然の魅力を併せ持つ場所です。
竹崎観世音寺は、真言宗御室派に属する寺院で、本尊は千手観音です。寺号は竹崎山(たけざきさん)および補陀洛院(ふだらくいん)と称し、竹崎島の歴史的中心を担ってきました。
この寺院では毎年1月上旬に「修正会鬼祭」が行われます。中世の伝統を受け継ぐこの行事は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、県指定の無形文化財である「童子舞」も同時に披露されます。
竹崎観世音寺の観音堂や平井坊は、江戸時代初期に再建されました。特に、県指定の重要文化財である石造三重塔は高さ2.2メートルあり、鎌倉時代中期に制作されたと考えられています。
竹崎島は有明海に浮かぶ火山島で、島の形成は数十万年から200万年前の噴火に遡ります。島全体が小さな火山であり、周囲は約4キロメートルです。かつては陸続きであったこの島は、現在も佐賀県道295号線の橋によって本土とつながっています。
竹崎港は噴火口が海に開いた「火口港」で、これは日本国内でも非常に珍しいものです。他には鹿児島県の山川港や伊豆大島の波浮港などが挙げられます。火山岩層には紡錘形の火山弾やスコリアが含まれ、火山の内部構造が観察できる貴重な場所でもあります。
竹崎島は海上交通の要衝であり、664年には対岸に狼煙台が整備され、南北朝時代には島原の有馬氏が竹崎城を築いています。戦国時代には龍造寺氏と有馬氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、島は戦略的拠点として利用されました。
竹崎観世音寺では、平安時代からの宗教的な風習が今も息づいています。特に、歩射会の古式である竹崎円座祭や、1300年以上の伝統を持つ御手水の的射りが行われています。また、鬼火焚きや流れ灌頂といった民俗行事も盛んです。
寺には鎌倉時代の石造三重塔や、大永年間に建立された六地蔵塔などの貴重な石造文化財が残っています。また、豊臣秀吉の朝鮮出兵にまつわる若武者真之介の悲恋を伝える「比翼塚」も見どころの一つです。
島の主要産業は漁業で、特にブランド蟹として知られる竹崎がにやタイラギ漁が有名です。また、温泉も掘削され、観光地としての発展が進んでいます。
竹崎沖は潮流が複雑で、航海の難所として知られてきました。1748年には早田番左衛門により灯台が設置され、1828年に台風で倒壊した後、1869年には息子の市右衛門がガラス鏡式の灯台を再建しています。現在は海上保安庁が管理する新しい灯台が設置されています。
竹崎島へは国道207号から分岐する佐賀県道295号線を経由します。この県道は島への唯一の経路で、祐徳バスが鹿島バスセンターから竹崎港までの路線を運行しています。
竹崎観世音寺と竹崎島は、歴史的・文化的な背景を持ち、自然や伝統行事の魅力も豊富です。観光地としてだけでなく、地域の歴史や文化を深く知る場として、多くの訪問者を魅了しています。