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伊萬里神社

(いまり じんじゃ)

伊萬里神社は、佐賀県伊万里市に位置する歴史ある神社です。かつて県社として指定されており、地域の歴史や文化と深く結びついた神社となっています。

概要

伊萬里神社は、1962年(昭和37年)に合祀された複数の神社を元に成立しました。その前身となったのは、旧県社であった香橘神社(こうきつじんじゃ)、戸渡嶋神社(ととしまじんじゃ)、そして岩栗神社(いわくりじんじゃ)です。現在でも、旧戸渡嶋神社および岩栗神社の鳥居が境内に残されており、これらの神社の歴史を偲ばせています。

香橘神社の歴史と由来

香橘神社の起源は、垂仁天皇の時代に遡ると言われています。伝説によると、田道間守命という人物が、天皇の命を受けて常世の国から不老長寿の妙薬として知られる非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、橘)を持ち帰り、この地に橘の木を植えたというのが始まりです。この橘を植えた地を「橘の宮」と呼ぶようになり、それが香橘神社の由来となったと伝えられています。

また、田道間守命を祀る中嶋神社も境内社として本殿近くに合祀されています。このことから、伊萬里神社は日本における橘の伝来にまつわる重要な場所として認識されています。

橘諸兄との因縁

香橘神社の創建には、橘氏の祖である橘諸兄(たちばなのもろえ)が深く関わっています。橘嶋田麻呂という人物が、橘諸兄の因縁を思い起こし、彼を祀るために社殿を創建したとされています。このように、香橘神社は橘氏の歴史とも深い関わりを持つ神社であり、地域の重要な文化財としての役割を果たしています。

岩栗神社の由来

岩栗神社は、天平12年(740年)の藤原広嗣の乱に関連して創建されたと伝えられています。この乱の際、紀飯麻呂(きのいいまろ)が、族祖である彦太忍信命(ひこたおしののまことのみこと)を祀り、戦勝を祈願したことが神社の始まりです。祀られた場所は栗の大木であり、それが神社名の由来ともなっています。岩栗神社は、戦乱の時代において地域を守る重要な神社としての役割を果たしていました。

戸渡嶋神社の歴史

戸渡嶋神社は、もともと戸渡島(現在の木須町)にありましたが、江戸時代に牧島村(現在の瀬戸町)に移されました。その創建は、神功皇后の時代に遡るとされており、非常に古い歴史を持っています。この神社も伊萬里神社に合祀され、現在の神社の一部となっています。

伊萬里神社の復興

伊萬里神社は天正年間の戦乱によって社殿が焼失するという苦難を経験しました。しかし、1654年(承応3年)に社殿が再建され、その後も地域の信仰を集め続けています。再建された社殿は、美しい木造建築であり、歴史的な価値も高いものとなっています。

森永太一郎と伊萬里神社

伊萬里神社の境内には、伊万里出身で森永製菓の創業者である森永太一郎の胸像が建立されています。森永太一郎は、日本における近代製菓業の先駆者であり、その功績は広く知られています。彼の出身地である伊万里市にとっても重要な人物であり、その縁を感じさせるモニュメントとして、訪れる人々に感動を与えています。

祭礼

橘祭(例祭)

伊萬里神社の例祭である橘祭は、毎年7月19日に開催されます。この祭りは、香橘神社に伝わる橘の伝説にちなんだもので、地域の人々にとっても大切な行事です。橘祭は、伊萬里市内外から多くの参拝者が訪れ、神社の歴史と文化を祝う一日となります。

御神幸祭と伊万里トンテントン祭り

伊萬里神社のもう一つの重要な祭礼が、毎年10月22日から24日にかけて行われる御神幸祭です。この祭りは「伊万里トンテントン祭り」とも呼ばれ、伊万里市内を賑わせる大規模な祭りです。神輿が市内を巡行し、地域の人々が一体となって祭りを盛り上げます。この祭りの期間中は、伊万里の伝統文化を感じることができ、訪れる観光客にとっても見応えのある行事です。

アクセス情報

伊萬里神社へのアクセスは非常に便利です。JR筑肥線および松浦鉄道西九州線の伊万里駅から徒歩約15分で到着できます。駅から神社までの道中には、伊万里市の美しい街並みを楽しむことができ、散策をしながらゆったりとした時間を過ごすことができます。

まとめ

伊萬里神社は、その長い歴史と豊かな文化的背景から、佐賀県伊万里市を代表する神社の一つです。香橘神社、戸渡嶋神社、岩栗神社の合祀により、地域の信仰の中心としての役割を果たし続けています。また、森永製菓の創業者である森永太一郎との縁も深く、地元の人々だけでなく、訪れる観光客にとっても魅力的な場所となっています。ぜひ、伊万里を訪れた際には、この歴史ある神社を参拝してみてください。

Information

名称
伊萬里神社
(いまり じんじゃ)

嬉野・武雄・伊万里

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