塩田津は、佐賀県嬉野市塩田町に位置する歴史的な町並みが残る街区で、2005年に国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定されました。このエリアは江戸時代の宿場町として発展し、長い歴史の中で多くの文化と産業が育まれました。
塩田津は、江戸時代に長崎街道の宿場町である「塩田宿」として栄えました。さらに、塩田川(現・浦田川)を利用した河港も重要な役割を果たし、地域経済の発展に貢献しました。白漆喰の壁で作られた町屋「居蔵家(いぐらや)」が軒を連ね、当時の面影を色濃く残しています。
この地域が大きく発展したのは、佐賀藩の支藩である肥前蓮池藩が西目領地の統治拠点としたことがきっかけです。塩田津では米や陶磁器の輸送が盛んに行われ、有田焼の原料となる天草陶石の搬入港としても機能しました。
1789年の大火を契機に、火災に強い漆喰造りの居蔵家が普及しました。最初に建てられたのは1790年の吉富家住宅です。その後も、多くの居蔵家が建設され、地域の象徴となりました。
平成に入ると「塩田塾」や「町並み研究会」が発足し、町並み保存の取り組みが活発化しました。2005年の重伝建地区選定後、保存修理事業が進められ、2006年には「塩田津町並み保存会」も設立されました。
町並み保存には、防災対策や居住環境の向上が課題となっています。特に、浸水対策として遊水地の設置が進められ、火災対策として消火設備の整備が行われています。また、旧街道の自然石舗装や景観に配慮したデザインの導入も検討されています。
塩田津は「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」の一部として日本遺産に認定されています。江戸時代には金花糖などの砂糖菓子が作られ、賑わいを見せていました。
塩田津は昭和初期まで商業と物流の拠点として栄えていましたが、交通網の変化に伴い、河港としての役割は次第に縮小しました。現在では、保存活動の成果により歴史的な町並みが再評価され、多くの観光客が訪れています。
塩田津は、歴史的な町並みと江戸時代から続く文化が息づく魅力的な観光地です。保存活動を通じて、伝統と現代が調和する町づくりが進められています。訪れる人々にとって、塩田津の景観や歴史は心に残る体験となることでしょう。