鏡山は、佐賀県唐津市に位置する標高283.56メートルの山です。この山は、神功皇后や松浦佐用姫にゆかりがあり、古くから歴史的な場所として知られています。鏡山は「領巾振山(ひれふりやま)」という別名もあり、その歴史的背景や美しい景色が、訪れる人々に感動を与えています。
鏡山の頂上は、平坦な地形が特徴的で、台形のような形状をしています。そのため、虹の松原とともに唐津市のシンボルの一つとして親しまれています。山のふもとには鏡神社があり、鏡山と密接に関係する神功皇后にまつわる伝説や歴史が息づいています。
鏡山へのアクセスは自動車道路や遊歩道が整備されており、登山者にとっても快適です。山麓から頂上へは3つの遊歩道があり、有志により整備された1278段の「虹の階段」もあります。車を使えば10分程度で山頂に到達でき、徒歩でも30分から60分ほどで頂上にたどり着くことができます。
頂上部には2つの展望台、「鏡山展望台」と「ひれふり展望台」が設置されています。これらの展望台からは、虹の松原、唐津湾、周囲に浮かぶ島々、さらに遠くには福岡県の姫島や壱岐などの美しい景色を一望することができます。また、唐津城や市街地、農耕地が織り成す風景も、訪れる人々に感動を与えます。特に天気の良い日は、遠く長崎県の壱岐まで見渡すことができます。
鏡山の名前は、神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈願して山頂に鏡を祀ったことに由来しています。また、帰途に陣痛に襲われた皇后が、里人から差し出された湧き水を飲んで陣痛が治まったという伝説もあります。松浦佐用姫が大伴狭手彦の船を見送ったという伝説の地でもあり、彼女が袖につけていた領巾を振りながら見送ったことから、領巾振山(ひれふりやま)とも呼ばれるようになりました。
地元では、鏡山に関するユニークな伝説や言い伝えが多くあります。例えば、「日本一高い山は鏡山である。かがんだ(座った)山なので、立ったら日本一高い」といった戯言もあります。また、鏡山の上を切り取って海に置いたのが高島で、そのさらに上を切り取ったのが鳥島であるという伝承も残されています。この伝説は、鏡山と高島が台形のような形をしていることから生まれたと言われています。
鏡山のふもとには、鏡山神社があり、登山者や観光客が訪れる場所となっています。神社の近くには、つつじが咲き誇る5月には美しい景観を楽しむことができ、山頂には電波塔やハンググライダー用の斜面もあります。また、池では鯉にエサを与えることができ、家族連れや市民が楽しむ姿も見られます。
鏡山のふもとは、かつては美しいレンゲ畑や水田が広がり、春から秋にかけて美しい景観を楽しむことができました。しかし、近年ではイオン唐津店や国道202号バイパス沿いの開発が進み、景観が失われつつあります。それでも、鏡山は今でも唐津市のシンボルであり、多くの人々に愛され続けています。
鏡神社(かがみじんじゃ)は、鏡山の麓にある歴史ある神社で、松浦地方の総鎮守として親しまれています。この神社は古来から鏡尊廟宮、松浦宮などと呼ばれ、神仏習合の名残を今に伝えています。
鏡神社の本殿には、神功皇后(息長足姫命)が一ノ宮として祀られており、二ノ宮には藤原広嗣が祀られています。鏡神社は、神功皇后が三韓征伐の際に戦勝を祈願して鏡を奉納したことに由来しており、その後、皇后の霊を鏡に込めて祀ったと言われています。
二ノ宮は、藤原広嗣の乱の後、広嗣を慰めるために建立されたと伝えられています。広嗣は乱の後に処刑され、その怨霊を鎮めるために、天平勝宝2年(750年)に二ノ宮が創建されました。このように、鏡神社は歴史と伝説が交錯する神社として、訪れる人々に歴史の深さを感じさせます。
鏡神社では、年間を通じて様々な行事が行われています。1月1日から3日までの「歳旦祭」や、4月の「春季例大祭」、7月の「夏越祭」、10月の「秋季例大祭」などがあり、地域の人々に親しまれています。また、「鏡くんち」としても知られる秋季例大祭では、2台の曳き山笠が出て、賑やかな祭りが繰り広げられます。
鏡神社には、重要文化財として「絹本着色楊柳観音像」があります。これは高麗時代の貴重な仏像で、現在は佐賀県立博物館に寄託されています。このように、鏡神社は文化的価値も高く、歴史的な財産を後世に伝え続けています。
鏡山と鏡神社は、唐津市の歴史と文化を象徴する場所です。神功皇后や松浦佐用姫にまつわる伝説や、美しい景観が訪れる人々に感動を与え続けています。また、歴史的な行事や文化財も多く、地域の人々に大切にされている場所です。鏡山からの絶景や、神社の厳かな雰囲気を楽しみながら、古代の歴史に触れることができる貴重な観光スポットです。