寶當神社は、佐賀県唐津市の唐津城の北方約2kmの唐津湾に浮かぶ高島に位置する神社です。この神社は、高島の産土神を祀る塩屋神社の境内社として存在しています。その起源は、天正13年(1586年)に野崎隠岐守綱吉がこの島で亡くなり、彼の墓所に祠が建てられたことに由来します。当初は「綱吉神社」と呼ばれていましたが、明和5年(1768年)に現在の神社が建立され、明治時代に「寶當神社」と改称されました。
寶當神社の由来となる人物、野崎隠岐守綱吉は、信州に生まれ、勇敢な武士として大友義鎮(後の大友宗麟)に仕え、多くの戦功を挙げました。元亀4年(1574年)に草野城で龍造寺隆信の大軍に対抗し、城を守り抜いた後、さまざまな事情で高島に移り住みます。
島では、筑前国の海賊、吉井神九郎率いる賊徒が襲撃してきましたが、綱吉は驚異的な勇気と力をもって彼らを撃退し、島民を救いました。この功績により、高島は再び賊の襲撃を受けることなく平和を保つことができたのです。
平成4年(1992年)、高島の島民が寶當神社に宝くじの当選祈願を行った際、高額当選したことが話題になりました。この出来事をきっかけに、「寶當神社に祈願すれば宝くじが当たる」と評判が広まりました。それ以来、ジャンボ宝くじのシーズンごとに多くの参拝者がこの神社を訪れるようになりました。
寶當神社が有名になる前は、唐津から高島に渡る航路は、住民や釣り人などが利用する程度でした。しかし、宝くじの当選祈願が評判になると、島おこしグループが運営する企業により、参拝者向けの施設が整備され、島の観光産業も発展しました。
神社では、一般的なお守りや厄除けの他に、宝くじにちなんだ「必当御守」や「宝当あたり矢」などが販売され、参拝者たちが幸運を願うためにこれらを購入しています。
寶當神社の近くに位置する「野崎商店」には、宝くじの当選祈願をする福猫がいます。この猫は、立ち上がって両前足を合わせて祈願する姿が人気で、多くの人々に福をもたらすと信じられています。また、島内の「宝当乃館本店」では、宝くじを直接購入できる売り場が設けられ、宝くじファンにとって特別な場所となっています。
高島は、唐津湾中部に位置する小さな島で、面積は約0.62平方キロメートル、人口は203人(2021年11月時点)です。島の北部は山地で、南部の海岸沿いに集落が形成されています。山頂への小道や島を一周する散策路がありますが、一部は地震による崖崩れで現在も通行止めとなっています。
高島へは、佐賀玄海漁業協同組合が運航する定期船で唐津市千代田町の宝当桟橋から約10分で到着します。また、唐津大手口バスセンターから昭和バスの宝当桟橋行き路線バスが運行されており、福岡市と唐津市を結ぶ高速バス「からつ号」も宝当桟橋に停車します。
さらに、宝当桟橋から出発する海上タクシーもあり、1人片道500円で運行されています。夜間や特別な場合は料金が異なることがありますが、利便性の高い交通手段として多くの観光客に利用されています。
「宝くじが当たる神社」として知られる寶當神社は、ジャンボ宝くじが発売される時期には、多くの参拝者が訪れます。この神社は、縁起の良い「寶當(ほうとう)」の名前にあやかって、多くの人々が宝くじの当選を祈願するために訪れることで有名です。過去には、宝くじの高額当選者が何人も出たことがあり、テレビや雑誌でも広く紹介され、一躍有名になりました。
高島港から徒歩2分の場所にある「宝当お休み処」では、地元の海産物を使った海鮮丼が人気です。参拝を終えた後、このレストランで新鮮な海の幸を堪能することができ、観光客にとって特別な体験を提供しています。
天文23年(1554年)に信州で生まれた野崎隠岐守綱吉は、幼少期から才能に恵まれ、勇気と礼儀を持ち合わせた人物でした。豊後の大友義鎮に仕え、数々の軍功を挙げた後、草野城での戦いにおいても大きな活躍を見せました。その後、様々な運命の流れで高島にたどり着き、島民を守る英雄として歴史に名を刻んでいます。
綱吉の死後、彼の功績を称えて島民は祠を建立し、島の守り神として彼を祀りました。明治34年(1901年)には、島の製塩業が栄え、利益を得た島民がお礼として石造りの鳥居を奉納し、現在の寶當神社として親しまれるようになりました。この神社は、島の「宝」としてだけでなく、多くの人々にとっても「幸運を招く場所」として今なお愛されています。
宝当神社は、佐賀県唐津市の唐津湾に浮かぶ高島にある神社です。この神社は、唐津城から約2km北方の海上に位置し、高島という小さな島に鎮座しています。古くから地域の人々に愛され、特に宝くじの当選祈願に訪れる人々で賑わっています。